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修理について
-オリジナルとは-


アンティークラジオを修理しようとするとき、音を出す、という目的だけでなく、オリジナルに戻すという事を誰しも考えると思います。ここでは、オリジナリティーを重視した修理とはどのようなものかについて考えてみたいと思います。

部品がない時には

ラジオの修理という時には、トランスやコンデンサなどの劣化した電子部品の交換を伴うのが、自動車や機械時計の修理と大きく違うところです。金属を加工して作れば全く同じ物が作れる部品が多い時計や自動車と違ってまったく同じ電子部品を作る事は容易ではありません。当時の部品を入手できたとしても劣化しているものが多いのが現実です。 動作させるには定数や仕様をできるだけ変えないように外観を保ちながら現代の材料や部品で修理するしかありません。オリジナルにこだわると実質的に修理ができなくなるというのが電子機器の特徴といえるでしょう。

また、ある程度実用にするためには部品を守るための最小限の改造(フィラメントのラッシュ防止抵抗追加など)はやむを得ないとは思いますが、ハムを減らしたり音質や感度を改善するのは実験的に試すのは別にしてできるだけ避けたいものです。粗悪な仕上げも性能の低さもそれがそのセットの現実であり、尊重すべきです。現代の私たちの技術を持ってすればいくらでも念入りに直せますが、往々にしてこれがオリジナルより良くしてしまう事になってしまいます。通信機はともかく、メーカーにろくな測定器もなかった時代の民生用ラジオが完全に調整されているはずがないのです。性能が出ないからといって改造してしまうようなことは避けたいものです。

オリジナルを知るために

劣化、修理、改造などでオリジナルの状態から変化しているラジオを修復するには本来の状態を知らなければいけません。オリジナルが現状から容易に推定できる物はよいのですが、そうでない場合、より状態の良い同一のセットと比較するか、資料を参考にする事になります。この、資料を参考にするのが曲者で、当時の型録や雑誌記事はたいへん良い資料ですが、あてにし過ぎると失敗します。現代でも変わりませんが、型録や雑誌の写真は、特に新製品の場合、試作品の写真である事が多く、細部が量産品と違っている事があります。回路や使用部品も改良によって変更される事がありますが、書籍に掲載されたりセット内に付けられる回路図は普通発表時の物で、よほど大きな変更でない限り印刷し直す事はありません。また、長期にわたって量産するうちには部品の入手の問題などで、本来採用された物と違う部品を臨時に使ったりする事もあります。

直そうとするセットに欠落した部分があるときは資料に従って復元せざるを得ないのですが、資料と実物が違っているときは資料に合わせようとせずに現物を尊重するべきだと思います。例えば、あるラジオの5本の真空管のうち、4本がマツダ、1本が同時代のNECというとき、これをマツダで揃えてしまう事がはたして正しいのでしょうか。もしかしたら1種だけ納期が間に合わずにNECから調達して間に合わせたのかもしれません。

過ぎたるは及ばざるが如し

クリーニングや修理に熱中すると、つい”余計な”ことをしてしまいます。なにが”余計”かはなかなか難しいのですが「もう少し何とかしたい」という気持ちが取り返しのつかない失敗につながります。たとえば、
 細かいところを磨こうとしてスピーカのネットを突き破ってしまう。
 裏側まで磨こうとしてダイヤルの文字を消してしまう。
 不用意に調節ねじを動かしたら調整が取れなくなった。
などなど・・・。
筆者も長い経験の中で随分と授業料を払ってきました。作業をする際には、構造や機能、補修部品の有無などをじゅうぶん理解したうえで、慎重に丁寧に行い、つねに「やり過ぎない」ことを肝に銘じて取り扱うのが重要だと思います。

修理と創作の狭間で

傷や退色のひどいキャビネットは補修してやりたいものです。しかし、外観の修理が再塗装や再メッキを要するような重傷であった場合、元の外観を推定するのは困難です。資料を捜そうにも1950年代以前のセットの正確なカラ-写真は、まずありません。元の塗装はツマミや銘板の下に残っている色を決め手にするくらいでしょうか。色が分かっても当時の新品の塗装を再現するには当時の家具の塗装の深い知識が必要でしょう。また、ヴィンテージ期の高級なセットであれば高級家具の塗装を行えば良いのでしょうが、安物をその新品の状態に塗るのはかえって難しいように思います。当館では余程ひどい状態でない限り外観には手を加えないようにしています。磨くぐらいはしますが、磨くにしてもがんばって磨きすぎると塗装を1枚剥いでしまう事があり、注意が必要です。

外観ではツマミも重要です。一部が失われているとき、別の形のツマミで揃えてしまうような事は避けたいものです。また、ツマミが全て失われていてオリジナルが分からないとき、同じ時代のデザインのあった物を付けてしまう事があります。それが予想以上に「似合って」しまったものを手元に置いて楽しむ限りは何の問題もないのですが、このようなオリジナルと違う部品を付けたりした”創作”が加わったラジオがマスコミに紹介されたり、人手に渡った場合、それが誤った”オリジナル”になってしまう危険があります。趣味としてラジオをいじるにもラジオの文化財としての価値に対して責任を持つ必要があると思います。

生活の痕跡を残すか

クラシック・カーを修復するのに、アメリカ人は徹底的に分解して油のシミ1つない、新車以上の状態に仕上げるのを好む人が多いのですが、ヨーロッパではこれを”オーバー・レストレーション”といって嫌う人が多く、きれいに修復するものの使い込んだ味わいは残しておくのを好むようです。どちらを取るかは好みの問題だと思いますが、ラジオが生活に密着した道具である事を考えるとヨーロッパ型が好ましいと思います。

当館が所蔵する国産のラジオは何らかの手が入っている物がほとんどです。それも小規模な修理ではなく、激しく改造されている事も多く、例えばエリミネータになった電池式ラジオや27Aを57に改造した並4、スーパーになった高1等が良くみられます。もちろんオリジナルを保っているのが好ましいのは言うまでもありませんが、この様な改造は長期間そのラジオが実用品として”生きていた”証拠であり、ユ-ザ-がどのようにラジオを使ってきたかの証拠になります。

例えば、電気がきていれば不便で性能の悪い電池セットをエリミネータに改造したくなるのも当然でしょう。逆にオリジナルを保っているもののほうがすぐに倉にでもしまいこまれて”死んで”しまった気の毒なラジオかも知れません。また、小さな修理跡もラジオの信頼性や品質を知る手がかりになります。ほとんど断線している1:3トランス、交換されている出力管、汎用品に換えられているコイルなどの内容はは当時の故障率調査とも一致し、興味深いものです。修理跡だけでなく、ダイヤルに張られた放送局を書いた紙片や子供の落書き等も時代を表していてほほえましく感じる物もあります。中にはただの5球スーパーに立派な「箱書き?」が付いているものもあって当時の人々のラジオとのつきあいかたがうかがわれます。内容や状態によりますが、このような道具として使われてきた痕跡には残しておくべき物も多いと思います。

修理すべきか

オリジナルに忠実であろうとすると、特に故障箇所が多く、部品の入手が困難な国産品は修理が困難になります。当館の所蔵品の中にも配線も含めてほとんどの部品を交換しないと直らない物がたくさんあり、当館ではどうしようもないほどひどい状態のものか、部品の自由度が高く、気楽に?直せる自作品以外は基本的に修理しません。

そうは言ってもラジオは鳴ってこそ価値があるのも事実で、オリジナルの尊重と動態保存との間でどう折り合いを付けるかは難しい問題です。どのように注意深く修復しても手を加える限りそれは品物を改変する事にちがいありません。

当館ではラジオの歴史的、文化的な意味をふまえ、文化財として後生に伝えるために、

あえて修理しない、修理し過ぎない、修理前の記録を残す

という姿勢で所蔵品を取り扱っています。

初出 AWC会報 1994 No.4

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