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電池式受信機の電源
-電池と充電器、エリミネータ電源-
CONTENTS
初期の真空管は直熱型だったために交流電源でフィラメントを点灯すると、ハム音が入って検波回路には使用できなかった。また、効率的な整流器や平滑コンデンサができないという問題もあった。このため、家庭に電気が来ていてもラジオだけは電池を電源とするしかなかった。ラジオ放送が始まったころ、多くのメーカがラジオ用の電池や充電器を発売していた。
本項に表記した価格は伊藤ラヂオ商会の1928年頃の価格表によった。
電池
初期の真空管式受信機には、フィラメント用の"A"、プレート用の"B"電池が必要であった。A電池には、6V30AH程度の鉛蓄電池または、消費電力の小さなセットや、ポータブルラジオにはイグナイタ用の乾電池が使われた。B電池は22.5Vの鉛蓄電池または乾電池を直列にして使用した。
当初は、A電池のプラスにB電池のマイナスを接続し、グリッドの電位をA電池のマイナスを基準とすることでグリッドバイアスを得ていた。しかし、グリッドには電流がほとんど流れないことから電圧のロスを小さくするために小容量の乾電池を別に使用する手法が一般的になった。このバイアス用の電池を"C"電池という。BおよびC電池は、真空管により数種類の電圧が必要とされるため、直列にした電池からタップを取り出したパッケージのものが作られた。トランジスタの時代になって、電源は単一電源となったが、現代でもパワーアンプ部の高圧電源のことをB電源と呼ぶことがある。
(左)B蓄電池 (川松卸商報1937.11) (右)B乾電池 (安永卸商報1936.11)
B電池の例、鉛蓄電池と乾電池があった。45/22.5Vのタップの付いた90Vの乾電池を使うのが最も一般的だったが、乾電池の入手が困難な地方などでは蓄電池が使われることもあった。
45Vの乾電池(1個6円)を2個直列にして90VのB電池として使用したときのコストの試算が当時の電池のカタログ(2)に出ているが、3球式ラジオを毎日使用したとして約2か月強保つことから電池代が年40円程度とされている。当時の大卒初任給程度の金額が年間にかかることになる。電池式の真空管ラジオは非常にお金のかかるものだったのである。
充電器
鉛蓄電池は、定期的な充電が必要であった。ラジオ商や電気店に持ち込んで充電することもあったようだが、家庭で充電するには小型の充電器が使われた。バッテリーの電圧は特にA電池の場合、交流電源より低いので下げる必要があるが、重く、高価なトランスが使われることは少なく、白熱電球を直列に入れて電圧を落とす方式が良くとられた。充電の管理には、懐中時計型の簡単な電圧計が使用された。
振動式充電器
蓄電池の充電のために交流を整流する方法の一つに、ブザーの接点が極性により吸引される作用を利用するものがある。この接点を通してカーボン電球を電圧、電流調整のために直列に入れると、簡単な充電器ができる。電圧は電球の容量で調整し、整流波形を接点の調節ネジで調整する。
接点の調節は難しく、接点が溶着するとバッテリーを放電してしまう欠点があった。また、振動音が出るためうるさいという問題もあった。価格は3円前後からあり、充電器の中では最も安価だった。現代の充電器のように電球の代わりにトランスを使うものもあったが、高価でトランスの信頼性が低く、あまり使われなかった。この方式は、自動車の発電機のレギュレータとしても使われている。
振動式充電器の例
タンガー式充電器
整流にはニ極管を使うのが一般的である。電池式ラジオの時代には、充電用に大電流を流せるタンガーバルブという特殊な真空管が作られた。タンガーバルブは電球の側面にプレート電極を設けた形状で、ガス入りとすることで蛍光灯のように起動時だけフィラメント電流を流せば充電電流が持続するようになっている。トランスを使用するものと、安価なモデルとして抵抗で電圧を落とす抵抗タンガーがあった。安価な抵抗タンガーでも15円程度と、振動式に比べると高価だった。
タンガーバルブ(東京電気 TR-2) (所蔵No.10001)、パッケージは後の時代のもの
オリジナルの米G.E.製のタンガー充電器
無音充電器
振動式とタンガー式が、充電器の代表的なものだが、特殊なものとして電気分解の電流が一定方向にしか流れない性質を利用した電解整流器を使用したものがあった。1925年に米サイレンス社の製品を田口商店が輸入して「無音充電器」として発売した。タンガー式より安価で接点の溶着や振動音がないというメリットはあったが、本体の価格が9円80銭、1年分の補充用充電剤が3円50銭と、タンガー式の半額程度であったが、3円前後の振動式充電器より高価で電解液の管理が面倒であったためか、日本では普及しなかった。
バッテリー・エリミネータ(交流式電源)
1925年頃に、整流管が発売されると、家庭の電灯線からB電源を供給するための電源装置が発売された。これらは、バッテリーを取り除く(eliminate)ものということから、エリミネータ(Eliminator)と呼ばれた。当初はB電源専用のものだったため、A電源はバッテリーか、充電器を接続して使用した。A/B兼用のものも現れたが、鉛蓄電池をトリクル充電しながら使うようなものだった。1927年以降には小型化され、ラジオセットに内蔵されるようになり、本格的な交流式受信機に発展していった。
アメリカ製エリミネータのカタログ(1920年代) 左:ELRA、右:Philco
蓄電池
A電池
TIGER Practical Battery タイガー電池製作所 1926年頃
GS RADIO BATTERY A-2型 日本電池(株) 1925年頃
GS RADIO BATTERY AP-3型 日本電池(株)/日本無線電信電話(株) 1925年頃
ユアサラヂオA蓄電池 RA-2型 湯浅蓄電池製造(株) 1930年頃
トーヨー 6GA1型 ラヂオA蓄電池 東洋蓄電池工業(株) 1935年頃
B電池
GS RADIO BATTERY BK-80型 日本電池(株) 1929年
GS RADIO BATTERY BK-96型 日本電池(株) 1929年頃
乾電池
ラジオ用乾電池 屋井乾電池 No.3 A, No.3 B, No.4 C 屋井乾電池(合) 1927年頃
EVEREADY No.6 IGNITOR DRY CELL National Carbon Co.,Inc,(U.S.A) 1925年
EVEREADY No.768 Radio "B" or "C" Battery Union Carbide and Carbon Coop. (U.S.A) 1925年
朝日乾電池 P-M 型 「ラヂオ用奉仕号」 B乾電池 朝日乾電池(株) 1935年頃
EVEREADY No.768 Radio "B" or "C" Battery Union Carbide and Carbon Coop. (U.S.A) 1925年
C乾電池
充電器
振動式充電器
ユーワイ充電機 ユーワイ製作所 1929年頃 2.70円
J.O.振動式充電器 J.O.充電器製作所,販売元 栄電社 1929年頃
安全充電機 E2号 安全充電機製作所 1931年
タンガー充電器
G.E. Tungar Charger CAT.277153 General Electric Co., U.S.A. 1925年頃 31.00円
G.E. Tunger Charger CAT,219866 General Electric Co., U.S.A. 1925年頃
G.S. Model B A/B兼用タンガー式充電器 日本電池(株) 1928年頃 日本製
IDEAL Tunger Charger B A/B兼用タンガー式充電器 The Ideal Electric Work 1929年頃 日本製
TEC 抵抗式タンガー充電器 東京電気(株) 1928年頃 日本製
Washington Rectifier A/B兼用タンガー式充電器 High Class Electric Comany 1928年頃 日本製
Serius Tunger Charger A/B兼用タンガー式充電器 小山無線 1928年頃 日本製
測定器
J.T. The High Class Pocket Meter (携帯型電圧計) 田尻製作所 1924-26年頃
エリミネータ電源
RCA Duo Rectron Battery Eliminator (AP-937) Radio Corpolation of America (U.S.A) 1925-27 $65.00
Atwater Kent Model Y Power Supply, Atwater Kent Manufacturing Co. (U.S.A. 1927)
Philco Radio AB Socket Power type AB356 Philaderphia Storage Battery Co.(U.S.A 1928)
USL Model RB-135 Socket B Power U-S-L Radio, Inc., (U.S.A. 1929頃)
TIGER Practical Battery タイガー電池製作所 1926年頃
電池専門メーカが製造した初期のラジオ用A電池。標準的な6V 30Ahの電圧と容量を持つ。安価なモデルだったらしく、正面にターミナルがなく、セルの上部から直接接続するようになっている。上部にカバーがあったかどうかは不明である。タイガー電池製作所は、1921(大正10)年に大阪で創業し、自動車及びラジオ用の蓄電池を製造した。社名は創業者の戸根虎次郎の「虎」から取ったものと言われるが、写真の銘板のマークは、米G.E.の"Tunger"充電器のマークをもじったものである。この時代にはこのような舶来品に見せかける国産品が横行していた。
同社はエリミネータ受信機の流行により電池事業に見切りをつけ、1928(昭和3)年には蓄電池の製造から撤退し、ラジオメーカに転向した。その後三菱電機のラジオ製造を請け負うことから「コンサートン」ラジオのメーカとなる。バッテリー専業メーカとして現在まで続いているGSやユアサと異なり、中小のバッテリーメーカは多くが昭和初期にバッテリー製造から撤退したため、その製品の残存数は少ない。
(所蔵No. m10009) 愛知県 近藤様寄贈
GS RADIO BATTERY A-2型 日本電池(株) 1925年頃 17.50円
1895年に日本で初めて鉛蓄電池を製造した日本電池のラジオ用A電池。定格は 6V 40Ah である。ちなみに、商標の"GS"は、創業者の島津源蔵のイニシャルである。ラジオ放送が始まったころは、このようなエボナイトケースに収納されたバッテリーが使用された。ケースの表記が"BATTERY"ではなく、"ACCUMULATOR"であるところが面白い。現在ではあまり使われないが、イギリス式英語でアメリカのBATTERYに相当する言葉である。しかし、社名の表記は、NIPPON
BATTERY Co., LTD"で、英米両方の言葉が混在している。
自動車用バッテリーは、その後、プラスチックケースができるまで、エボナイトケースのままで発展していったが、ラジオ用バッテリーはガラス瓶に入った単セルを木製ケースに収めた形のものに切り替わっていく。
本機は、激しいサルフェーションとドライアップにより使用できない。
また、エボナイト製のふたが失われている。
(所蔵No.10075)
GS RADIO BATTERY AP-3型 日本電池(株)/日本無線電信電話(株) 1925年頃
蓄電池の代表的なメーカ、日本電池の鉛蓄電池。ドイツ、テレフンケン社の輸入代理店であった日本無線電信電話(現日本無線)(株)の銘板がついている。当時のテレフンケン製の真空管はフィラメント電圧が4Vであったため、この電池の電圧も、通常の6Vではなく、ドイツ製真空管にあわせて4Vになっている。同じケースサイズで2セルのため、6Vのバッテリーより1個当たりのセルの大きさが大きい。
本機は、キャップが1個失われ、激しいサルフェーションとドライアップにより使用できない。
(所蔵No.10047)
ユアサラヂオA蓄電池 RA-2型 湯浅蓄電池製造(株) 1930年頃
日本電池(GS)と並ぶ蓄電池の代表的なメーカ、ユアサのラジオ用A電池。6V 30AHの充電可能な鉛蓄電池である。ハンドルの付いた木製ケースに入れられたこの形が、ラジオ用バッテリーの標準的な形である。セルの電圧は現代と変わらない2Vである。各セルはガラスケースに入れられ、セパレータは木製である。この形式のバッテリーは、1935年頃から戦時中にかけて、非常用の電池式受信機が製造されたため、戦時中まで製造された。長期間生産されたため、ケースの形や色、銘板の位置などが微妙に異なる製品が確認されている。
本機は、激しいサルフェーションとドライアップにより使用できない。
(所蔵No.10041/11825)
トーヨー 6GA1型 ラヂオA蓄電池 東洋蓄電池工業(株) 1935年頃
ふたの裏に貼られた注意書
ラジオ用の小型のA蓄電池である。標準的な6V 30AHのモデルに対し、容量が10Ahと小さく、ケースのサイズも小型になっている。
最大放電電流が1.3Aしかなく、201Aをたくさん使った旧式の大型電池セットに使うには不十分である。230など、新世代の低消費電力真空管を使った小型電池式受信機用と思われる。ハンドルの付いた木製ケースに入れられたこの形が、ラジオ用バッテリーの標準的な形である。セルの電圧は現代と変わらない2Vである。各セルはガラスケースに入れられ、セパレータは木製である。
本機は、激しいサルフェーションとドライアップにより使用できない。
(所蔵No.10092)
GS RADIO BATTERY BK-80型 日本電池(株) 1929年
国産のB用鉛蓄電池。80/40/24Vのタップがあり、容量は1.2AHである。端子盤のショートバーを外すと40Vの電池2個として使うこともできた。B電池は電流が少なく、比較的長持ちするので乾電池が使われることが多く、高価で保守が大変な蓄電池が使われることは少なかった。しかし、部品の入手が不便な地域で使用するときには充電可能な鉛蓄電池が使われた。
この電池は、長野県で使用されていたニュートロダイン受信機に付属していたものである。
(所蔵No.11825、委託品)
GS RADIO BATTERY BK-96型 日本電池(株) 1929年頃
国産のB用鉛蓄電池。96/72/48/24Vのタップがあり、容量は1AHである。上のBK-80型とは電圧が異なる。端子盤のショートバーを外すと48Vの電池2個として使うこともできた。B電池は電流が少なく、比較的長持ちするので乾電池が使われることが多く、高価で保守が大変な蓄電池が使われることは少なかった。しかし、部品の入手が不便な地域で使用するときには充電可能な鉛蓄電池が使われた。
本機は、IDEAL Tunger Charger と同時に発見された。
各電槽の栓が失われている。もれた電解液により木製ケースが傷んでいる。
(所蔵No.10056)
ラジオ用乾電池 屋井乾電池 No.3 A, No.3 B, No.4 C 屋井乾電池(合) 1927年頃
乾電池は屋井先蔵によって1887(明治20)年に発明された。残念ながら特許を一番に取ることはできなかったが、海外より1年早い発明となっている。屋井乾電池はラジオ用電池にも進出し、写真のように左からA電池(1.5V)、B電池(45/22.5V),
C電池(4.5/3V) のシリーズを発売した。当時は電池の規格が統一されておらず、微妙にサイズや容量の違う多くの種類が作られていた。
発明者で創業者の屋井先蔵は1927年に66歳で病没した(1)。ちょうど屋井が亡くなった年に松下から自転車ランプが発売され、乾電池の需要が爆発的に伸びる時期ではあったがラジオ用の電池はその後交流式に切り替わり、需要が減っていった。屋井乾電池も他の中小電池メーカと同じくラジオセットメーカに移行すべく開発を進め、昭和5年度の東京中央放送局エリミネータ―受信機懸賞募集に応募し、一等当選に輝いたが、同時に受賞した専業メーカとの技術レベルの差は大きく、結局セットメーカになることはできなかった。同社は戦後まで存続したようだが1950年以降の消息は不明である。
委託番号No.S10033 (柴山 勉コレクション)
EVEREADY No.6 IGNITOR DRY CELL National Carbon Co.,Inc,(U.S.A) 1925年
米国を代表する電池メーカEveradyのA電池。本来はダイナマイトの雷管用であるが、フィラメント用のA電池として広く使われた。UV-199のような消費電力の小さな真空管を使うセットに使用された。
朝日乾電池 P-M 型 「ラヂオ用奉仕号」 ”B” 乾電池 朝日乾電池(株) 1935年頃
当時の代表的国産メーカのB電池、DC45Vで、22.5/19.5/16.5V のタップがある。朝日乾電池は後に松下に買収された。
この電池は自作の電池式受信機の電池ケースに残っていた。
(所蔵No.11A042)
EVEREADY No.768 Radio "B" or "C" Battery Union Carbide and Carbon Coop. (U.S.A) 1925年
エバレディの商標で知られる米国ユニオンカーバイド社製のB/C用乾電池。22.5Vの積層乾電池に中間タップが付けられている。B電池として使うときは-B, +6, +18, +19, +22.5V として使い、C電池として使うときは0, -3, -4.5, -16.5, -22.5V として使用する。1個でB,C用として同時に使用することはできない。この電池はRCAのRadiola 26型に搭載されていたものである。
(所蔵No.11812)
C電池には小型の乾電池が使われた。写真左が米国製(EVEREADYとBURGESS)、右が日本製(朝日乾電池と無名メーカの製品)。全電圧はどれも4.5Vだが、4.5V端子のみのもの(EVEREADY)、1.5/3/4.5Vのタップがあるもの(BURGESS)、3Vのタップがあるもの(国産)など、様々な種類がある。 C電池のみは、良質な抵抗器が開発されるまで、ラジオが交流化されても使用された。
充電器
ユーワイ充電機 ユーワイ製作所 1929年頃 2.70円
日本製の振動式充電器の代表的なもの。カーボン電球を2本使用する。電球の間の端子はヒューズである。充電器ではなく、充電「機」と表示されている。電球2個は並列に接続され、A電池を充電するときは大型の電球を2個使用し、B電池を充電するときは小型の電球を1個使用する。蓋の銘板に1925(大正14)年に登録された特許番号85070が表示されている。充電器としては最も安価なものの一つ。
(所蔵No.10029/m10001)
J.O.充電器 J.O.充電器製作所,販売元 栄電社 1929年頃
日本製の振動式充電器の代表的なもの。カーボン電球を2本使用する。
写真では現在でも売られているエジソン電球のレプリカを取り付けた。本機は、蓋が失われている。
(所蔵No.10024)
安全充電機 E2号 安全充電機製作所 1931年
振動式充電器としては後期のもの。電球を1個取り付けるとB電池を充電することもできる。振動片駆動用の電源および保護装置として中央の小型電球が付けられているのが特徴である。この使い方は、バッテリーを接続して電灯線をつなぐ前にこの電球が点灯しないように接点の調節ねじを調整しておくことで、停電時の短絡や放電を防ぐようにするものである。製造年月日かどうかは不明だが、ケース底板にゴム印で「6.3.18」の捺印がある。1931年ということだとすると、交流受信機がかなり普及してからの製品ということになる。
(所蔵No.10063)
G.E. Tungar Charger CAT.277153 General Electric Co., U.S.A. 1925年頃 31.00円
特殊なガス入り整流管であるタンガーバルブを使用するアメリカ製充電器。このモデルはトランスとバラスト用の電球を使うことでA、B兼用とすることができる。A電池を充電するときは6V 2A、B電池を充電するときは96V 0.25Aの出力となった。タンガーバルブは、東京電気製のマツダを使用していることから、日本で使われていたものと思われる。舶来品で高価だった。タンガーバルブだけでも9円と、安価な国産振動式充電器の3倍であった。
(所蔵No.10054)
G.E. Tunger Charger CAT,219866 General Electric Co., U.S.A. 1925年頃
特殊なガス入り整流管であるタンガーバルブを使用するアメリカ製の中型A電池用充電器。このモデルはトランスとバラスト用の電球を使うことで電圧を3セル用の7.8Vと6セル用の15Vを切り替えることができる。大型のタンガーバルブを使用し、3セル時6A、6セル時3Aの電流を取り出せる。よく使われた小型のモデルの3倍の容量である。
本機は、RCAのAR-812型スーパーヘテロダイン受信機とともに発見された。
大正時代に輸入されたものと思われる。
(所蔵No.m10003)
G.S. Model B A/B兼用タンガー式充電器 日本電池(株) 1928年頃 日本製
特殊なガス入り整流管であるタンガーバルブを使用する充電器。上のGE製品のコピー品である。オリジナルと同じようにトランスとバラスト用の100V電球を使うことでA、B兼用とすることができる。電球も付属している。A電池を充電するときは6V
2A、B電池を充電するときは96V 0.25Aの出力となった。オリジナルと比較すると、かなり忠実にコピーされていることがわかる。ラベルは、タンガーのロゴはそっくりコピーされているが、その他の表記はかなり異なっている。バッテリー大手の日本電池すら、コピー商品を作っていた時代であった。
本機のグレーの塗装は、近年スプレーで吹きなおされたもので、オリジナルは黒色のようである。
(所蔵No.10077)
IDEAL Tunger Charger B The Ideal Electric Work 1929年頃 日本製
特殊なガス入り整流管であるタンガーバルブを使用する充電器。上のGE製品のコピー品である。オリジナルと同じようにトランスとバラスト用の100V電球を使うことでA、B兼用とすることができる。電球も付属している。A電池を充電するときは6V
2A、B電池を充電するときは96V 0.25Aの出力となった。オリジナルと比較すると、かなり忠実にコピーされていることがわかる。ラベルもそっくりだが、英文が、オリジナルがライセンスに関する注意であるのに対して、これは宣伝文になっている。ケースの細部が異なることから、モデルにした機種が微妙に異なるのかもしれない。タンガーバルブは、正式にライセンスを受けた東京電気製のマツダを使用している。
内部に、販売当時のものと思われる昭和初期の新聞紙が詰めてある。このままで使用したとは思えないが、梱包材を外し忘れたものか、未使用なのかは不明である。
(所蔵No.10055)
TEC抵抗式タンガー充電器 東京電気 1928年頃
米国G.E.社のライセンスにより東京電気が製造したタンガー充電器。同社製TR-2型タンガーバルブを使用している。トランスの代わりに抵抗器で電圧を落とす廉価版である。デザインはGE製とほぼ同じである(上のモデルとはタイプが異なる)。A電池専用である。正規のライセンス品だからか、銘板の形式や塗色がGEの本物と違うものになっている。
(所蔵No.10001) 東京都 金田様寄贈
Washington Rectifier A/B兼用タンガー式充電器 High Class Electric Comany 1928年頃
簡単なトランスと電流制限用の電球を併用することで、2Vの単セルから、96VのB電池まで充電が可能なタンガー式充電器。マツダのタンガーバルブを使用している。銘板はいかにもアメリカ製のように見えるが、国産品である。Westinghouse のニセモノである。当時はこのように舶来品に見せかけた国産品が多かった。
(所蔵No.10042)
Serius Tunger Charger A/B兼用タンガー式充電器 小山無線 1928年頃 日本製
簡単なトランスと電流制限用の電球を併用することで、2Vの単セルから、96VのB電池まで充電が可能な日本製タンガー式充電器。A/B兼用の機種だが、ふたの裏側にはA専用と大書してある。接続ミスで電池を壊したことでもあったのだろうか。
タンガーバルブは失われている。
(所蔵No.10078)
測定器
J.T. The High Class Pocket Meter (携帯型電圧計) 田尻製作所 1924-26年頃
懐中時計型の小型電圧計。共通のマイナスリードと、A, B 2種類のプラス端子を持ち、それぞれ12/120Vレンジとなってる。
ラジオ用バッテリーの充電管理に使用された。英語表記のみで舶来品に見せているが、日本製である。
(所蔵No.10002)
エリミネータ電源
RCA Duo Rectron Battery Eliminator (AP-937) Radio Corpolation of America (U.S.A) 1925-27 $65.00
RCAが、電池式受信機用に用意した初期の交流式B電源。バッテリーを取り除くものということで"Battery Eliminatot"と称した。AC110/125VからDC22.5/45/90/135V 10-20mAの電源を出力する。B電源専用で、Aにはバッテリーか、タンガー充電器を使用する。両波整流管UX-213とレギュレータ管UX-874を使用する。スピーカを大音量で鳴らすために、同じキャビネットに収めたパワーアンプ"Uni
Rectron"($105)も用意されていた。
本機は、ターミナルが1個失われている。
(所蔵No.10052)
Atwater Kent Model Y Power Supply Atwater Kent Manufacturing Co. (U.S.A. 1927)
大手ラジオメーカ、アットウォーター・ケント社の電源装置。B+の整流に、両波整流管280を採用している。電池式ラジオに使用するエリミネータは、ハムを避けるためにB専用のものが多かったが、この機種は交流用真空管26,27の使用を前提にしているため、A,Bとも供給できるようになっている。この電源部は単独の製品としても販売されたが、写真のように同社のラジオと組み合わせて最初の交流受信機36型として発売された。
(所蔵No.11815)
Philco Radio AB Socket Power type AB356 Philaderphia Storage Battery Co.(U.S.A 1928)
Electrolytic Rectifier: Philcotron TK-357, Input: AC110V 50/60c/s
後にラジオに進出することになるフィルコのAB兼用エリミネータ電源。大容量のため、主にコンソールなどの大型ラジオ用とされていた。A電源はWestinghouse社のRectox
Trickle Charger (DC6V 8A) で、内臓の鉛蓄電池(6V)をトリクル充電して供給する。カタログの写真には、ウェスチングハウス製充電ユニットの位置に電解液のボトルらしいものが写っている。この充電ユニットは大型バッテリー用のオプションではないかと思われる。B電源の整流には自社製の電解整流器"Philcotron
TK-357"を4本使用する。約35cm四方の正方形に収まる寸法は、置き換えられるバッテリーのスペースに納まるサイズである。カタログによれば、当時すでにULによる安全規格に準拠して組み立てている旨の記述がある。
この電源により、確かに電源コードを挿してスイッチを入れるだけでラジオを聴けるようにはなったが、あくまでも鉛蓄電池や電解整流器という、化学反応を利用したデバイスを使う機器のため、非常に重く、管理も容易ではない。メーカは無料接続サービスや月賦販売、中古バッテリーの引取りなど、さまざまなサービスを用意していた。効率的な整流管と交流用真空管ができるまでの過渡的な商品である。
(所蔵No.10062)
USL Model RB-135 Socket B Power U-S-L Radio, Inc., (U.S.A. 1929頃)
TUBES: B-H (Everready Raytheon)、電源電圧AC110V 60Hz 15W、出力電圧DC135V 40mA
アメリカ製のB電源ユニット、エバレディ/レイセオンの冷陰極ガス入り整流管B-Hを使用している。この整流管は、ヘリウムガスが封入され、イオン化されたガスにより通電するため、フィラメントを必要としない。定格は300V 125mA であり、タンガーバルブほど電流は取れないが、耐圧が高いためB電源に向く。検波段、初段アンプ、終段アンプ、電源に対応する4つのタップが設けられていて、微調用のレオスタットがある。大電流の整流が困難だったためか、B電源のみが最初に交流化された。
(所蔵No.10057)
1)上田明博 『白いツツジ 「乾電池王」屋井先蔵の生涯』 (PHP研究所 2009年) Amazon.co.jp で購入する
2)『サイレンス連結式耐久B蓄電池カタログ』 (田口商店 1925年頃)