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電蓄の流行から禁止へ
-戦時下の電蓄- 1937-45
目次
戦争景気と高級受信機の流行
戦時下の電蓄生産の推移
電蓄生産の禁止
電蓄展示室
参考文献
1937年頃から1940年まで、戦争が中国大陸で行われ、太平洋戦争開戦までは、日本国内では戦時色が濃くなり、統制も強化されてはいたが、経済的には「戦争景気」といえる好況であった。ラジオ放送への関心も高く、ラジオの生産は急増し、1941年にピークを迎えるまで増加していく。これに合わせて国産品が奨励され、輸入品の入手が困難になったために、スーパーなどの高級ラジオや電蓄の生産も急増した。1937(昭和12)年にはビクターから2A3ppスーパー付の、戦前期国産電蓄を代表する高級機、JRE-48が発表される。質、量ともに1930年代後半は戦前期電蓄の最盛期といえる。
この時期の生産統計を下表に示す。
年度 (西暦) |
年度 (昭和) |
再生式ラジオ (台) |
スーパーラジオ (台) |
電蓄(台) | 全波受信機 (台) |
その他(台) | 合計(台) | 電蓄のシェア (%) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1935 | 10 | 143,290 | 6.005 | 2,899 | - | 1,750 | 153,974 | 1.88 |
1936 | 11 | 403,514 | 11,012 | 4,710 | - | 3,051 | 427,287 | 1.10 |
1937 | 12 | 390,268 | 7,515 | 5,064 | - | 3,906 | 406,753 | 1.24 |
1938 | 13 | 563,666 | 72,330 | 7,347 | - | 6,119 | 604,462 | 1.20 |
1939 | 14 | 632,007 | 40,072 | 5,494 | - | 12,783 | 740,356 | 0.74 |
1940 | 15 | 794,767 | 64,745 | 2,864 | 40 | 8,487 | 852,903 | 0.34 |
1941 | 16 | 868,860 | 52,307 | 1,735 | 1,368 | 19,741 | 917,011 | 0.19 |
1942 | 17 | 797,856 | 22,625 | 725 | 2,308 | 17,787 | 841,301 | 0.09 |
1943 | 18 | 703,540 | 12,893 | 5 | 1,248 | 15,130 | 741,816 | - |
1944 | 19 | 242,641 | 1,952 | 100 | 2,753 | 15,225 | 262,372 | - |
1945 | 20 | 74,735 | 166 | - | 1,119 | 11,509 | 87,529 | - |
通産大臣官房調査統計部資料より抜粋、全波は輸出用である。
電蓄生産は1936年対前年で1.6倍に増加したが、ラジオの生産の伸びがはるかに大きく、シェアは1.9%から1.2%に低下した。その後1936年から38年まではラジオの生産が激増するが、電蓄のシェアは低下していない。このことは、戦争景気によって高級品の生産も順調に伸びたことを示している。贅沢品や金属への統制のために、電蓄の生産はラジオより早い1938年にピークを迎える。電蓄の生産は最も多い1938年でも1万台に届かず、生産が増えたといっても日本の市場では少数派であった。日本経済全体でもGDPのピークは1939年であった。
1937(昭和12)年には戦費調達と戦時統制のため、贅沢品への物品税課税が強化され、電蓄およびその部品には20%の課税が行われた。1940年の奢侈品禁止令により、銅使用制限規則および鋼製品製造制限規則対象品の蓄音器の製造が1940(昭和15)年10月7日をもって禁止となった。
禁止となってからも1942(昭和17)年まで生産があるが、これは製造の禁止のみで販売は制限されなかったためで、カタログからは落とされていたが、在庫品や、在庫部品を用いて組み立てたものが販売されたものと思われる。この間贅沢品への課税は強化され、1944(昭和19)年には電蓄に対して120%という、まさに禁止税といえる高率の課税が行われた。
禁止されたから時間が経った1943(昭和18)年に5台、1944(昭和19)年という戦況が悪化した時期に100台の生産記録がある点が興味深い。奢侈品禁止令では、輸出用、研究用、軍需用などについては特別に許可されることになっていた。実態は不明だが、特殊用途向けに生産されたものと思われる。 また、キャビネットについては、破損や故障の際の修理用としてなら生産販売して差し支えないということで、キャビネットメーカの清水商会では1944年になっても製造販売を継続していた。(5)
1945(昭和20)年と翌46年については電蓄生産の記録はない。ラジオ受信機の生産も壊滅状態に落ち込んで日本は終戦を迎えたのである。
参考
<物価の目安> 1937年(昭和12年)頃
小学校教員の初任給55円
鉛筆1本5銭、電球(60W)1個30銭、もりそば13銭
<物価の目安> 1941年(昭和16年)頃
小学校教員の初任給60円
鉛筆1本10銭、電球(60W)1個40銭、もりそば16銭
対ドルレート 1ドル=4円前後
ミカサ 型番不明 2A5シングル 高二付卓上電蓄 (株)服部時計店 1937年頃
ビクター(Victor) 製品 日本ビクター蓄音器(株)
JRE-48(RE-48)型 2A3pp. 9球スーパー付電蓄 1937年 485.00円
JRE-50型 2A5s 5球スーパー付卓上電蓄 1936年頃
JRE-51(RE-51)型 2A5s 5球スーパー付卓上電蓄 1937年
ナショナル(National) 製品 松下無線(株)
GR-20型 2A5シングル4球高一付お座敷電蓄 1937年 150.00円
6S-1型シャーシ使用 2A5シングル6球スーパー付電蓄 1938年
GR-541型 2A5シングル4球高一付コンソール型電蓄 1939年 210.00円
ミカサ 型番不明 2A5シングル 高二付卓上電蓄 (株)服部時計店 1937年頃
銀座、服部時計店が発売した卓上電蓄。2A5シングルの高二で、6.5インチ・フィールド型ダイナミックを駆動する。ピックアップはライン(帝都無線)のバランスド・アーマチュア型、モータは一般的な鳥羽のインダクション型である。付属の布カバーはオリジナルと思われる。本機は、ダイヤルを1955年頃に改造している。また、キャビネットに対してシャーシの作りが悪く、オリジナルではない可能性がある。
(所蔵No.42038)
ビクター JRE-48(RE-48)型 2A3pp. 9球スーパー付電蓄 日本ビクター蓄音器(株) 1937年 485.00円
TUBES: 78-78-76-85-76-2A3-2A3-5Z3-6E5, 10" Electro-dynamic Speaker
ビクターが1937年の年末商戦時に発売した高級電蓄。正式な型番はJRE-48だが、取扱説明書や広告などでは「RE-48」と表記されている。6.3V管を中心とした構成で10インチフィールド型ダイナミックを駆動する。この時代には珍しくマジックアイを採用しているが、これはRCA製の輸入品である。プッシュプルのアンプ部や本格的なスーパーであるラジオ部など、贅沢なシャーシである。 スピーカーボックス内に共鳴管を並べて音質の改善を図る「マジック・ボイス」を備えている。プレーヤ部は、自社製インダクション・モータと「コブラ」型ピックアップを使用している。デザインは写真のようにすっきりしたもので、このキャビネットは中小メーカによって多くのコピー品が作られた。 このセットが発売された直後の1938年2月、米国RCAは日本ビクターから資本を引き上げ、ビクターは東芝の傘下に入った。本格的な戦時体制になる直前の、戦前期電蓄の最後を飾る製品といえるだろう。
本機は、畳の上で使っていたらしく、本体の形に合わせた専用の木台をあつらえている。
(所蔵No.42028/m42007)
ビクター JRE-50型 2A5s 5球スーパー付卓上電蓄 日本ビクター蓄音器(株) 1936年頃
TUBES: 58-2A7-57-2A5-80 , 6.5" Electro-dynamic Speaker
ビクターの初期の卓上電蓄。高一付5球スーパーを内蔵し、自社製6.5インチ・フィールド型ダイナミックを駆動する。シャーシは同社のラジオセットとほぼ共通である。中間周波増幅を持たない4球スーパーに高周波増幅を付加した回路である。ダイヤルにはRCAのマークがある。
本機はプレーヤー部の針壺、ボリュームなどが欠品している。ツマミも失われていたので、本来木製のツマミを樹脂で複製したものを取り付けた。
(所蔵No.42072)
ビクター JRE-51(RE-51)型 2A5s 5球スーパー付卓上電蓄 日本ビクター蓄音器(株) 1938年
取扱説明書表紙
TUBES: 58-2A7-57-2A5-80 , 6.5" Electro-dynamic Speaker
戦前の卓上電蓄を代表するモデル。高一付5球スーパーを内蔵し、自社製6.5インチ・フィールド型ダイナミックを駆動する。シャーシは同社のラジオセットとほぼ共通である。中間周波増幅を持たない4球スーパーに高周波増幅を付加した回路である。シャーシに「JRE-51」と表記されているものも確認されている。ダイヤルにRCAのマークはすでになく、Victorの文字のみ、それも本来のロゴとは変えた形で表示されている。日本の資本に移った直後の雰囲気がうかがえる製品である。
(所蔵No.42001)
ナショナル GR-20型 2A5シングル4球高一付お座敷電蓄 松下無線(株) 1937年 150.00円
TUBES: 58-57-2A5-80
ナショナルのお座敷電蓄。高一付4球で、自社製8インチフィールド型ダイナミックを駆動する。ダイヤルは当時のナショナルR-48、R-52型ラジオと共通のエアプレーン型である。このシャーシはR-4D1型としてシャーシのみでも球なし52.00円で販売されていた。この製品は、同社のラインアップの中で、最高級コンソールGR-100(350.00円)、卓上型のGR-10(95.00円)の間の、どちらかといえば普及価格帯のものといえる。
(所蔵No.42026)
ナショナル 6S-1型シャーシ使用 2A5シングル6球スーパー付電蓄 松下無線(株) 1938年
TUBES: 58-2A7-58-2B7-2A5-80
ナショナルのシャーシ、ピックアップ、モータ、キャビネット専業メーカ、オカダケースのコンソール型キャビネットを使用して組み立てられた電蓄。6S-1型シャーシは、高一付6球スーパーで、シャーシとして販売されていた商品としては松下の中でもっとも高級なもの。ツマミは左右対称に配置され、スピーカを逃げる切込みがシャーシにない。電蓄用を前提として設計されたシャーシであることがわかる。電蓄が禁止される直前の、好景気の時代に作られたセットである。
本機は、戦後6WC5を使用した6.3V管のスーパーに改造されている。
(所蔵No.42015)
ナショナル GR-541型 2A5シングル4球高一付コンソール型電蓄 松下無線(株) 1939年 210.00円
TUBES: 58-57-2A5-80
松下のコンソール型電蓄の、もっとも廉価なモデル。4球高一シャーシで、自社製8インチ・フィールド型ダイナミックを駆動する。同社のこの年のコンソール型電蓄には、この他にまったく同じキャビネットで5球スーパーを搭載するGR-551型(320.00円)、より大型のキャビネットを使用し、6球スーパーシャーシを搭載した最高級のGR-561型(410.00円)があった。電蓄への課税強化など、統制が強められてはいたが、製造禁止となる前年の、まだ余裕が感じられる製品である。
(所蔵No.42035)
(1)商工経営研究会編 『増訂版 問答式解説 7.7 10.7奢侈品禁止令』 (大同書院 1940年)
(2)『テレビラジオ年鑑』 1954年 (テレビラジオ新聞社 1955年)
(3)通産省重工業局電子工業課編 『テープレコーダと電気蓄音機』 (工業出版社 1961年)
(4)『八欧電気商報』 1939年1月号 ((株)八欧商店 1939年)
(5)『電波日本』 第38巻 第5号 1944年5月号 ((社)日本電波協会 1944年)