Home Brew Sets by Radio Amature (1946-55)
CONTENTS
戦後のラジオ不足とアマチュアの台頭
終戦直後の手作りラジオ
その後の手作りラジオ
自作受信機展示室
戦後、短波放送の開放、進駐軍の指導による新しい放送番組や進駐軍放送などによって、ラジオは家庭の娯楽として大きな位置を占めた。ただし、戦時下の部品不足の中で酷使されたラジオは老朽化したものが多く、また、戦災で消失したものも多く、不足していた。多くのメーカが戦後ラジオ生産に乗り出したが、資材が不足し、激しいインフレで新品のセットは高価で、庶民には手が出なかった。
このような状況下、軍需産業や軍隊で無線技術を習得した技術者や理工系の学生など、多くのアマチュアがラジオの自作に取り組んだ。故障したラジオの修理やラジオ商などの依頼でラジオや電蓄を組み立てるのはアマチュアにとって良いアルバイトになった。商才と技術、そしてチャンスにめぐり合った一部の技術者は起業し、その後大企業に発展したものもある。代表格はソニーである。多くの自作需要のために多くの部品メーカがラジオ部品を市販するようになった。これらの部品メーカの中には現在日本を代表するエレクトロニクスメーカとなったところも多い(アルプス、SMK、菊水電子等)。
彼らは、頼まれてラジオを作るだけでなく、自身の楽しみとしてもラジオを組み立てた。特に、アマチュア無線が禁止されたままの状況で、ハムを目指すものは短波受信(SWL)のための全波受信機を自作した。東京では、山際や廣瀬など、もともとラジオ卸商が多く存在した秋葉原駅付近の焼け跡に、軍が放出したラジオ部品やジャンクを売る露天商が並んだ。現在の秋葉原電気街の始まりである。
こうしたラジオ・アマチュアのために多くのラジオ雑誌やラジオ修理の解説書が発行された。大正時代から続く無線と実験、戦前のラジオ科学を起源とする電波科学、戦後派のラジオ技術、ラジオ科学、ラジオと音響などが代表的なものである。アマチュアたちは粗末な紙に刷られた薄い雑誌を愛読し、中には自作した成果を投稿する事もあった。
無線と実験1946年9月号表紙(誠文堂新光社)
この無線と実験1946(昭和21)年9月号の表紙は、並四球受信機の部品を作業机の上に並べたところを描いている。
アマチュアのラジオつくりの雰囲気が良く出ている絵である。
彼らが作るラジオのうち、ラジオ商や個人の依頼で作る商売用?のセットは、ごく普通の回路で組まれ、市販のキャビネットに収められているものだが、自己の技術的興味のために作るセットは、シャーシむき出しで、せいぜい簡単なパネルが付いているようなものが多かった。露天で買ったり古ラジオから外したようなありあわせの部品を駆使して組み立てることが多かった。
また、当時、部品が不足する中で老朽化したセットを改造して生かすことも良く行われた。受信用の真空管の入手が困難だったために、軍の放出品として出回っていたUt-6F7、ソラ、RH-2等が良く使われた。
終戦直後は、ものの無い中で実用も兼ねてラジオの組立が行われていたが、1950年代に入り、世情が安定し、物資が豊富になると、ラジオの自作は純粋に趣味として行われるようになった。1952年にはアマチュア無線が正式に再開され、その後、通信型受信機用のケースやキットも各社から発売されるようになった。しかし、高価なケースやキットを購入できるアマチュアは限られていた。アルミシャーシにパネルを付けただけのスタイルは、1970年代まで、アマチュアの短波ラジオのスタイルとして残った。彼らは、1台のシャーシで実験を繰り返し、分解、組立を繰り返すことが多かった。このため、手作りの受信機は、完全な形で残ることが少ない。
当館に所蔵されている、アマチュアの作品を紹介する。なお、これらの受信機の年代を判別することは難しい。
多くのアマチュアは、1台のシャーシで実験を繰り返した。また、部品を集めて組み立てるのに1-2年かかることも珍しくなかった。
製作者が不明のセットについては、使用部品などから推定した年代である。
交直両用再生式4球受信機 1948年頃 製作者不明
改造並四球受信機 1948年頃改造(オリジナル:1937年)
高千穂受信機改造高一4球受信機 1948年頃改造(オリジナル:1936年頃)
6球中波スーパー 1949年頃 製作者不明
2バンド5球スーパー 1949年 製作者:岡部憲二
2バンド4球スーパー 1951年 製作者不明
JRC R-101改造 5球スーパー 1952年頃 製作者不明
通信用2バンド5球スーパー 1957年頃 製作者不明
交直両用再生式4球受信機 1948年頃 製作者不明
終戦直後にラジオの廃物と日本軍、占領軍の放出部品で組み立てた4球受信機。シャーシは戦前の4球受信機のものが使われている。ダイヤルは昭和初期の「ホットケーキダイヤル」を流用している。シャーシにアルミパネルをつけただけの手作りのラジオである。配列は?-6SN7GT-6G6G-12F で、検波管の型名はわからないが、12Fを除いて米軍放出品が使われている。回路的には低周波段の段数が多い「並四」である。スピーカは外付けで、出力トランスが大型であることから、ダイナミックであったと思われる。正面にはバッテリーの接続用コネクタがあり、停電時にはスイッチで切り替えてレシーバで聴くようになっている。ピックアップ端子やプレーヤ用コンセントも設けられ、電蓄としても使われたようである。用途の良くわからない端子やスイッチがあり、ラジオの試験などに使うことも考慮されているように思われる。
(所蔵No.11708)
改造並四球受信機 1948年頃改造(オリジナル:1937年)
1937年頃の並四受信機を改造したもの。元はトランス結合の27A-26B-12A-12Bだったと思われるが、元の部品はほとんど残っていない。RH2-56-12A-12F
の抵抗結合の並四球に改造されている。コイルは戦後の貧弱なものが使われている。トランスは、2.5-5-6.3-12Vのタップを持つものに交換されている。当時、軍放出のソラ、RH-2、JRCのNシリーズなど、12Vヒータの球が出回っていたため、このようなトランスが市販されていたと思われる。RH-2を使用したラジオは、真空管の品質が低かったために、そのままの形で残っているものは少ない。
本機は、真空管がなくなったシャーシの形で発見された。それを当館で寸法の合う同時代のキャビネットに収めたものである。
スピーカおよびツマミはオリジナルではない。
(所蔵No.11764)
高千穂受信機改造高一4球受信機 1948年頃改造(オリジナル:1936年頃)
TUBES: US-6K7? FM-2A05A RH-4 ソラ
戦前の高一受信機を終戦直後に改造したセット。ソケットをウェハーのUSソケットに交換し、戦後大量に放出された軍用真空管に改造してある。外側を塗り直してあるため名称がわからないが、マツダが国産化した6K7と思われるメタルチューブがトップに使われ、検波はJRCがドイツの技術を参考に開発したMG管のFM-2A05A(松下製)、低周波増幅はマツダのMG管であるRH-4、整流管は規格統一された万能管「ソラ」を二極管接続で使用している。元の整流管のUXソケットはスピーカーコネクタとして使っている。全て形式の異なる国産USベースの真空管が1台のセットに使われている珍しい例である。このセットに使われている軍用真空管は戦時中大量に生産されたため戦後放出されて安価に出回っていた。入手が容易だったので、当時のラジオ雑誌にこれらの真空管を使った多くの製作記事が掲載されている。しかし、球そのものの品質の悪いものが多かったのでそのままの形で現在まで残っているセットは少ない。
本機は、キャビネットが失われている。
(所蔵No.11849)
6球中波スーパー 1949年頃 製作者不明
TUBES: 6WC5 FM2A05A FM2A05A 76 6V6 6V6
市販のシャーシにベークライトパネルを組み合わせた手製の中波6球スーパー。終戦直後に放出された真空管を使った変わったラインナップである。FM2A05Aは、戦時中日本無線が開発したMG管で、このセットには松下製が使われている。76は、後から必要になったのだろうか。スペースが無く、シャーシの下にぶら下げられている。米軍放出の6V6が2本使われている。1本は出力管だが、もう1本は2極管接続されて整流管になっている。手持ちが無かったらしく、チョーク代わりの抵抗には3本の抵抗器が並列合成されている。パネルにマジックアイのフレームが取り付けられ、MG管が付けられているが、これは不良真空管のケースにネオンランプを入れたもので、パイロットランプと電源の安定化を兼ねるものである。アマチュアらしい工夫が随所に見られるセットである。
(所蔵No.11027)
2バンド5球スーパー 1949年 製作者:岡部憲二
TUBES: 6A7-6SK7-6ZDH3-6V6GT-80, 6.5" Electro-dynamic Speaker (Columbia)
このセットは珍しく製作者や製作の経緯が判明している。製作者は当館事務局担当者の父である。父は戦時中通信隊に所属し、戦後電気通信省で、電話局に勤務していた。戦災でラジオを失ったため、自作に取り組んだという。当初は中古の並四を修理し、0-V-1のオートダイン短波受信機を組み立てたが、それらを解体し、最終的に組み立てた2バンド5球スーパーである。6A7-6SK7-6ZDH3-6V6GT-80という構成で、コロムビアの6.5インチフィールド型ダイナミックを駆動する。当時出回り始めていた米軍放出のメタル管、GT管と国産の真空管を混ぜて使っている(当時UZ-42、6D6は入手難だったという)。東京在住のため、米国製部品が入手できたので信頼性を上げることができた。信頼性を上げるために真空管ソケットには米軍放出のタイトベースのものが使われている。コイル、IFTは初期のスター製(463kc)である。スピーカのプラグに不良真空管のベースを使ったり、ペーパーコンデンサを2個半田付けして固定しているなど、苦労の跡が見られる。
ダイヤルは2重軸で減速機構を持つバリコンを使用して直結としている。キャビネットは、当初市販品を購入したが、貧弱で音が悪すぎたため、使用しなかったという。結局ありあわせの板で丈夫なスピーカーボックスを作り、サランネットの代わりに着物のはぎれを貼っている。本機は、トランスレス5球スーパーを購入した1958年頃まで使用されたという。その後、関心はテレビに移ったが、費用がかかりすぎるため、自作はしなかったという。
(所蔵No.11027-2)
2バンド4球スーパー 1951年 製作者不明
TUBES: 6WC5-6D6-6ZP1-12FK
戦前のミゼット受信機のシャーシを流用した4球スーパー。オリジナルの部品はほとんど無い。新品で残っていたシャーシを使ったものかもしれない。6WC5-6D6-6ZP1-12FKの4球である。中間周波増幅を持たず、6D6でグリッド検波を行う再生式のスーパーである。セレクトのIFTを使用し、IFは463kcである。4球スーパーでオールウェーブとしたものは珍しい。アマチュアらしいセットである。
(所蔵No.11149)
JRC R-101改造 5球スーパー 1952年頃 製作者不明
TUBES: 6WC5-6D6-6ZDH3A-6V6GT-KX-80K
1946年にJRCが発売した5球スーパー、R-101型のシャーシを流用して組み立てられた5球スーパーである。オリジナルはJRC独自の12V系GT管を使用したセットだったが、オリジナルの部品はオイルコンと端子板程度しか使用していない。完全に解体されて作り直されている。故障がひどく、12Gシリーズの入手は困難だったのだろう。本来ならソケットを生かしてGT管で作ったほうが楽だが、地方ではGT管の入手は困難で、入手できたとしても高価であった。6WC5-6D6-6ZDH3A-6V6GT-KX-80Kの配列で、フィールド型ダイナミックと組み合わせていた。このシャーシと共に、ビクターの10インチダイナミックが発見されている。組み合わせて使用したものかどうかは不明である。6V6-GTは国産のTVC製のものが使われている。国産の部品が出回るようになってからの作と思われる。
(所蔵No.11673)
通信用2バンド5球スーパー 1957年頃 製作者不明
TUBES: 6BE6-6C6-6SQ7-42-80BK
汎用の5球スーパー用シャーシにアルミパネルを付け、バーニヤダイヤルをつけた、典型的な手作りの短波受信機。6BE6-6C6-6SQ7-42-80BK
という、mT,GT,ST混合の構成である。mT管は高価だったので、重要なコンバータのみに使用し、他はジャンクのST管を混ぜて使ったのだろう。市販のコイルとIFTを使用したごく普通の回路である。パネルに、丸型のメータを付けた跡がある。Sメータか、出力計か、用途ははっきりしない。現在取り付けてあるメータは形と時代の合うものを当館で取り付けたもの。
短波受信にはレシーバを使っていたようだが、シャーシ側面にフィールド型ダイナミックをつなぐためのUYソケットがある。このような短波受信機には珍しくピックアップ端子があり、プリアンプを組み込もうとしたのか、使われていないUYソケットがシャーシに付いている。製作者はオーディオにも興味があったようである。無塗装のアルミパネルには鉛筆でたくさんの落書きが書かれている。勉強の気晴らしだろうか。当時のラジオ少年の雰囲気がうかがえるほほえましいセットである。
年代は1957(昭和32)年頃と判断した。部品の大半は昭和20年代のものだが、当時はジャンク部品で作るのが普通だった。新品であれば高価だったはずのマツダのGT管やmT管が使われていることから、昭和20年代のものと見るには無理がある。分解したような痕跡が見られないので、古い5球スーパーを改造したものではないようである。
(所蔵No.11563)