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規格1号受信機
CONTENTS
規格1号受信機とは
規格1号受信機展示室
ナショナル 規格1号受信機 松下無線(株) 1941年(加筆訂正)
ヘルメスF-8型 規格1号受信機 大阪無線(株) 1941年 (追記)
G.R.Radio 規格1号受信機 K.K.Radio Product MFG Co. 1942年
Leader Radio 規格1号受信機 S.S.D. Radio MFG. Co. 1942年頃
ナナオラN-10型 規格1号受信機 七欧無線電気(株) 1942-44年頃
テレビアン1号受信機 山中電機(株) 1942年頃
カールソン受信機 阪東無線電機製作所 1942年頃
コンサートン1号受信機 戸根無線(株) 1945年
戦後の規格1号受信機
フタバ 国民型5号受信機 双葉電機(株) 1946年 (放11619)
テレビアンR10号 国民型5号受信機 山中電機(株) 1947年 (放11154)
規格1号受信機のシャーシを使用した並四球受信機 1947年頃
戦時中のラジオ受信機は、国策としての軍需物資の確保に協力するために、資材節約を図った簡素なもの、統一された規格による製品が求められた。その代表的なものが、放送協会の規格による放送局型受信機である。
しかし放送局型受信機は一定以上の規模と設備を持ち、製造許可を受けた一流メーカ19社にしか生産が許されなかった。また、特殊なトランスレス用真空管を使うことから一般の大多数のメーカにとっては敷居の高いものであった。しかし、当時一流メーカ以外に多数の中小メーカがラジオを生産していた。当時の一般的な受信機はペントード検波、3極管2段抵抗結合増幅(57-56-12A-12F)の並四球受信機である。放送局型受信機は統制経済化で主流の受信機となってはいたが、それよりたくさんの並四球受信機が生産されていたのが現実であった。
このような状況下で、ラジオ工業組合連合会は、一般に入手できる部品で簡素な並四球受信機の規格を作成した。これが規格1号受信機である。1941年ころのことと思われる。規格1号受信機は57-56-12A-12Fの並四受信機で、メーカーごとにデザインは異なるものの、外形寸法、シャーシの構造が同じなのが特徴である。シャーシはきわめて薄く小型に作られ、資材節約を図っている。スピーカは規格品の紙フレームマグネチックである。
規格1号受信機のシャーシ(ナナオラN-10)
規格1号受信機の回路図 (ナショナル規格1号受信機添付)
デザインはメーカによって細部が異なるが、大きく分けてスピーカーグリルが横型の桟のものと、丸い穴になった物の2種類に分けられる。横桟のものが関東系のメーカに多く、丸い穴のものは関西系に見られる。東京と大阪の組合でそれぞれ標準的なデザインを決めたのかもしれない。キャビネットのサイズ、レイアウトと、ダイヤル下部に「規格1号受信機」の文字がある点は共通している。ダイヤルの指針は無く、矢型ツマミの向きによって同調の位置を示す、きわめて簡素な形式である。パイロットランプもなく、ダイヤルの裏は板でふさがれているものが多いが、パイロットランプを備えたモデルもある。キャビネットのサイズは放送局型11号、122号とほぼ同サイズの薄型である。
規格1号受信機は、中小メーカでも製造できるように企画されたと考えられるが、最大手の松下も含めて、局型製造業者の認可を持つような大メーカも生産した。この規格を策定したラジオ工業組合連合会は、統制の強化により1942年9月には解散し、電気機械統制会傘下のラジオ受信機統制組合が結成された。統制組合の主要メンバーは局型製造業者であり、発言力が強く、資材配給面で局型受信機が優遇されるようになった。これ以降も規格1号受信機は製造されるが、この規格品を広く普及させようとする動きは弱まったと思われる。規格1号受信機の中に、ダイヤルに「規格1号」の文字がなく、メーカ名が入っているものが確認されている。このようなセットは、ラジオ工業組合連合会が解散した後のセットと思われる。
民間の戦時対応型受信機として、いわば国策型受信機の発展形として誕生した規格1号受信機だったが、戦況の悪化とそれに伴う統制の強化により統一規格品として存在した期間はわずか1年ほどだった。はからずも、これは太平洋戦争で日本軍が有利に戦った期間とほぼ一致する。
規格1号受信機は、現在までに次のものが確認されている。
この実例から、関東、関西、有名、無名にかかわらず生産されていることがわかる。
ナショナル 規格1号受信機 松下無線(株) 1941年
ヘルメスF-8型 規格1号受信機 大阪無線(株) 1941年
G.R.Radio 規格1号受信機 K.K.Radio Product MFG Co. 1942年
Leader Radio 規格1号受信機 S.S.D. Radio MFG. Co. 1942年頃
ナナオラN-10型 規格1号受信機 七欧無線電気(株) 1941年
テレビアン1号受信機 山中電機(株) 1942年頃
カールソン受信機 阪東無線電機製作所 1942年頃
コンサートン1号受信機 戸根無線(株) 1945年
ナショナル 規格1号受信機 松下無線(株) 1941年
TUBES: 57 56 12A 12F, 紙フレームマグネチック
ラジオ業界最大手の松下も規格1号受信機を製造した。作る必要はなかったかもしれないが、業界のお付き合いとしては必要だったのだろう。次に示すヘルメスの規格1号とデザインは非常によく似ているが、キャビネットの構造や寸法は微妙に異なり、どちらかがOEMということではない。関西系共通のデザインがあったものと思われる。
本機のスピーカは金属製フレームだが、紙製フレームのもの(11A230)も確認されている。
(所蔵No.11A230, 11A285)
ヘルメスF-8型 規格1号受信機 大阪無線(株) 1941年
TUBES: 57 56 12A 12F, 紙フレームマグネチック(ヘルメスP-600:放21038)
今まで確認された規格1号受信機の中では最も生産時期の早いもの。ナショナルの規格1号とデザインは非常によく似ているが、キャビネットの構造や寸法は微妙に異なり、どちらかがOEMということではない。関西系共通のデザインがあったものと思われる。一流メーカの部品を集めて高級受信機を作ってきたヘルメスらしく、キャビネットは有名専門メーカ、オカダケース製である。スピーカは自社ブランドの認定品だが、この認定番号は大阪、園田拡声器製作所製のライト第5号のものであることから、OEM品と思われる。
本機の出力管は失われている。ACコードは近年交換されたもの。
(所蔵No.11576)
ヘルメスF-8型(後期型)
後期型と思われるF-8型、ダイヤルから「規格1号受信機」の文字がなくなっている。また、このセットのシャーシには松下無線の検査証が付いていた。初期のF-8型と異なり、パイロットランプが追加されている。ブリキ板でふさぐより資材を使わないということか。元々大阪無線は、優秀な部品を集めて組み立てに特化することで高品質の製品を実現していたが、シャーシまで大手にOEMにしていたことがわかる。
本機の同調ツマミは失われていたので、似た形のものを当館で取り付けた。
(所蔵No.11A274)
G.R.Radio 規格1号受信機 K.K.Radio Product MFG Co. 1942年
TUBES: 57 56 12A 12F, 紙フレームマグネチック
無名メーカの規格1号受信機。検波管とコイルの位置関係が他社製品と異なる。規格1号受信機の生産がこのような無名メーカにも開かれていたことがわかる。キャビネットの表示もG.R.Radioとなっている。
本機は、使用感が少なく、保存状態が非常に良い。写真ではシールドキャップが脱落している。
(所蔵No.11647)
Leader Radio 規格1号受信機 S.S.D. Radio MFG. Co. 1942年頃
TUBES: 57 56 12A 12F, 紙フレームマグネチック
無名メーカの規格1号受信機。上のG.R.Radioの製品と同じものに見えるが、銘板の表記が異なる。どちらかの会社のOEMかもしれない。
本器の右のツマミはオリジナルではない。
(所蔵No.11864)
ナナオラN-10型 規格1号受信機 七欧無線電気(株) 1943年
メーカのチラシ(A4版の右半分、左は局型)、および取説表紙(実物はA5版二つ折り) (個人蔵)
TUBES: 57A 56A 12A 12F, 紙フレームマグネチック
一流メーカ、七欧無線電気(株)の規格1号受信機。このセットは1944年の広告が確認されている。規格1号受信機の中では現在確認されているものの中では最も最後まで生産されたものである。また、同じキャビネットで「規格1号受信機」でなく、「ナナオラ受信機」と表示されたものも確認されている。
紹介した取説はナナオラ受信機時代のもの。
(所蔵No.11326)
テレビアン1号受信機 山中電機(株) 1942年頃
TUBES: 57 56 12A 12F, 紙フレームマグネチック
一流メーカ、山中電機(株)の規格1号受信機相当品。規格1号でなく、「テレビアン1号」と表示されている。ナナオラとダイヤルのデザインが良く似ている。関東系で共通のデザインかもしれない。本来は57-56-12A-12Fだが、57のかわりに58が使われている。修理時にありあわせのものに交換されたものと思われる。また、紙ケース入りのケミコンはすぐに不良になった。シャーシが小さいためにシャーシの外にコンデンサが追加されている。2回修理したらしい。
(所蔵No.11671)
カールソン受信機 阪東無線電機製作所 1942年頃
TUBES: 57 56 12A 12F, 紙フレームマグネチック
大阪の無名メーカが製造した規格1号タイプの受信機。キャビネットのデザインはテレビアン1号受信機と同じものである。しかし、シャーシのレイアウトは検波管とコイルの位置関係がテレビアン製品や、その他の製品と異なる。ダイヤルの表示は、単に「カールソン受信機」を表記され、規格1号を思わせる表示はない。この製品は、戦後の製品という可能性も捨てきれないが、使用部品から、戦時中の製品と判断した。
(所蔵No.11854)
コンサートン1号受信機 戸根無線(株) 1945年
キャビネット内の配置図、捺印欄枠の上の製造会社名が、切り取られている。
TUBES: 57A 56 12A 12F, 紙フレームマグネチック(TWO RING),
大阪の一流メーカの一つである戸根無線が製造した規格1号型ラジオ。規格1号の文字はなく、同社のブランドであるコンサートン1号型と称している。このラジオの銘板には、昭和20年5月の日付と2276番の製造番号が捺印されている。昭和20年のラジオの生産は極端に少なく、昭和19年の24万台(再生式のみ、以下同じ)に対して7万4千台しかない。民生用ラジオで昭和20年の日付があるものは極めて少ない。部品の入手がしやすく、簡素な規格1号型の並四受信機が戦時中、最も最後まで生産されたことがわかる。
コンサートンの名前が残っていることから、戸根無線製であることは明白だが、銘板と、底に貼ってある回路図のメーカ名が消されている。「闇」で流通したセットと思われる。この時代の統計を比較すると、通産省の生産統計では74,735台が生産されているが、統制会のデータとして、正式に配給のルートに入荷したものは2,787台に過ぎない。この数字を信じるなら、配給に回ったのは全体の3.7%ということになる。このセットも、残り96%の中に含まれたものだっただろう。
(所蔵No.m11048) 三重県、花崎様寄贈
規格1号受信機の名称は戦時中に消滅した。しかし、国民型受信機の中に追加された並四球ラジオの5号受信機には、規格1号とまったく同じ構造のセットが見られる。当館所蔵の3機種を紹介する。高周波増幅を持たない国民型5号受信機は、再生妨害を防止するために1947年にGHQにより禁止されたため、短期間で消滅した。こうして長く続いた「並四球」の歴史は終わったのである。
フタバ 国民型5号受信機 双葉電機(株) 1946年 (放11619)
テレビアンR10号 国民型5号受信機 山中電機(株) 1947年 (放11154)
規格1号受信機のシャーシを使用した並四球受信機 1947年頃
フタバ 国民型5号受信機 双葉電機(株) 1946年 (放11619)
フタバ 国民型5号受信機 1946年
TUBES: 57 56 12A 12F, 紙フレームマグネチック
このフタバの国民型5号では、キャビネットのデザインは多少戦後風になっているが、キャビネットのサイズやシャーシは規格1号そのものである。戦時中の規格1号受信機を手直しして発売したものと思われる。
本機のツマミは、当館で同時代のものを取り付けたもので、オリジナルではない。
(所蔵No.11137)
テレビアンR10号 国民型5号受信機 山中電機(株) 1947年 (放11154)
TUBES: 57 56 12A 12F, 紙フレームマグネチック
テレビアン1号受信機の戦後版、戦時中のモデルとはトランス、コイルの形状が異なる。デザイン面ではスピーカグリルのデザインが異なる他、ダイヤルの表示がテレビアン1号からTELEVIANに変更されている。
(所蔵No.11019)
規格1号受信機のシャーシを使用した並四球受信機 1947年頃
TUBES: 6D6-76-6ZP1-12F, 紙フレームマグネチック
戦後に作られた並四球受信機。6.3V管を使った回路で松下製紙フレームマグネチックを駆動する。規格1号受信機のシャーシを使っているが、ありあわせの大き目の箱に入れられ、局型123号用ダイヤルを付けている。工作は粗雑でアマチュアの手作りと思われる。規格1号用のシャーシを使って組み立てたものか、規格1号受信機の残骸を使って改造したものかは不明である。
(所蔵No.11652)