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はじめに
ラジオ放送が始まって10年以上経ち、ラジオは家庭の情報、娯楽の中心となりましたが、日中戦争の激化とともに番組に戦時色が強まり、民生品に割り当てられる資材が不足してラジオのデザインが簡素になっていきました。日本のラジオの技術は最初の10年くらいは欧米のあとを追いかけて順調に進んでいましたが、放送事情や経済力などによって欧米から立ち遅れていき、その差は戦争によって決定的になりました。物資の不足でラジオの入手も修理も困難になりましたが、空襲の激化によってラジオの重要度はより高くなっていきました。ラジオ放送の影響力の強さを明快に示すのが、1945年8月15日の「玉音放送」でした。
第2展示室では日中戦争が激化する1937年ころからから終戦までの戦中期の日本のラジオの歴史を取り上げます。
(「外地の放送とラジオ」「ラジオの普及と第2次世界大戦」は第1展示室にも含めています)
時間のない方はまずこちら
ラジオの変遷と放送史の概要 戦前・戦中編
目次:戦時下のラジオ
1935-38 ラジオの普及と第二次世界大戦
戦前の短波ラジオと取締り
1938-45 戦時下のラジオ
資料編:公定価格・ブランド一覧
その他
外地の放送とラジオ
1935-38
ラジオの普及と第二次世界大戦
-並四全盛の時代-
並四と三ペンの時代
(1937-39)
-戦前期の普及型受信機-
戦前の中上級受信機
(1937-39)
-戦前期の高一、高二、スーパー-
青年団ラジオ
(1937-38)
-成人教育とラジオ
ラジオ共同聴取施設
(1935-37)
-有線放送の始まり-
戦前の短波ラジオと取締り
戦前の短波ラジオ
(1935-45)
-戦前の国際放送聴取-
戦前・戦中期の手作り短波ラジオ
(1935-48)
短波ラジオ取り締まりの実態
(1942-43)
‐全波受信機特別探査実施要領書より‐
ゾルゲ事件で使われた無線機
(1933-41)
1938-45
戦時下のラジオ
-放送局型受信機の時代-
放送局型受信機
(1938-45)
-標準受信機への取り組み-
国策型受信機
(1939-43)
-簡素化された戦時下の普及型受信機-
規格1号受信機
(1941-47)
-ラジオ工業組合標準型受信機-
戦時下の普及型受信機
(1938-45)
戦時下の中級受信機
(1938-45)
戦時下の高級受信機
(1938-45)
戦時下の電池式受信機
(1940-45)
有線放送受信機
(1940-45)
-防空対策としての有線放送-
国民型受信機構想
(1940-42)
-戦後につながる逓信省の標準受信機案-
玉音放送とラジオ
(1945.8.15)
資料編:戦時下の公定価格
ラジオの公定価格(昭和15年)
ラジオの公定価格(昭和18年)
ラジオの公定価格(昭和19年)
ラジオの公定価格(昭和19-23年)
その他
国産ブランド一覧表(戦前編)
放送受信章と聴取許可の変遷(戦前・戦中編)
(1925-45)
外地の放送とラジオ
台湾の放送とラジオ
朝鮮半島の放送とラジオ
満州国の放送とラジオ
中国占領地域の放送とラジオ
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著作、制作:日本ラジオ博物館事務局