日本ラジオ博物館
Japan Radio Museum

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国防受信機
"Kokubou-Jyusinki"-Battery Operated Receiver for Emergency-

-電池式受ラジオ普及への苦闘-
(1933-39)


CONTENTS

交流式ラジオの普及

ラジオ普及の限界と電力事情

電池式ラジオの再出発

電池式受信機普及会の設立

  電池式受信機普及会A型受信機 2球再生式 制作者不明 1935年

  改造電池式受信機普及会C型受信機 高1付3球再生式 制作者不明 1935年頃

非常時対応交直両用受信機(国防受信機)の開発

  ハラグチ国防受信機 M-46型 高1付4球再生式 1934-37年頃

  ハラグチ国防受信機 M-57型 高1付5球再生式 1935年

フタバ 国防受信機 FB-4型(初期型) 高1付4球再生式 1935年

  フタバ 国防受信機 FB-4型(後期型) 高1付4球再生式 1936-37年

  フタバ 国防受信機 FB-5型 高一付き5球受信機 1937年

 国防受信機用の電池

錦生コロイド電池の充電管理

室戸台風 -大災害とラジオ-

その後の国防受信機

  フタバ国防受信機 F-600型 高1付6球再生式 1938年

  キャラバン国防受信機 DM-470型 1939年頃

国防受信機以外の電池式ラジオ

エレバム防空受信機 1937年頃 宮田製作所 (NEW)

  フタバ交直受信機 F-400型(放16001) 
高一付き4球再生式 1936年 (別ファイル)

  高砂 D.188型 3球直流式受信機 高砂工業(株) 1935年頃

  エーブル高周波2段5球電池式受信機 (株)広瀬商会 1939年

国防受信機、電池式ラジオのその後

教育現場における電池式ラジオ

参考文献

第1展示室ホーム English Ver. HOME


交流式ラジオの普及

放送開始当初、スピーカを駆動できるラジオは、電池を電源とするものであった。維持費が高く、取扱いが不便な電池式受信機は、交流用真空管の開発に伴って、交流式(エリミネータ)受信機に瞬く間に駆逐されていった。ラジオの普及が立ち上がる1931年頃、すでに交流式受信機の割合は80%に達していた。聴取者が200万を超えた1935年における交流式受信機の割合は、90%以上であった。

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ラジオ普及の限界と電力事情

ラジオの聴取者増加に大きく貢献した交流化だが、都市部にラジオがある程度普及すると、いっそうの普及に対して逆に障害となった。昭和初期には、特に農村部では、夜間のみの定額電灯の地域が多く、昼間、交流式のラジオを使うことはできなかった。東京中央放送局管内でも、27%の家庭が昼間送電を受けていなかった(1936年)。1日の半分も聞くことができなくて聴取料金が同じということに、農村部の聴取者からは不満の声が寄せられた。しかし、送電しているのは電力会社なので放送局の責任ではない。

現在では夜間だけの定額電灯という区分はないので説明を付け加えておくと、夜間送電のみというのは、各戸別に切り替えるものではない。その地域全てが昼間送電がないのである。役場や郵便局、学校などは特別、ということはない。

電力がらみで、もうひとつ当時の事情を挙げると、電力会社によるラジオの販売の問題があった。1929年頃から電力会社は、電気の利用拡大のためにラジオを自ら販売するようになった。定額電灯では基本的に決まった数の電灯しか使えないが、許可を受け、別料金を支払うことでラジオなどその他の電気器具を使うことができた。そのため当時の電力会社は電気製品の利用について1点ごとに検査を行い、許可を与える強い権限を持っていた。

電力会社は特に昼間送電を開始した地域を中心に、器具の検査、設置に便宜を図ることで自らラジオを売り込んだ。一部のメーカはこの新たな販路を地方への拡販の手段として積極的にかかわり、「東邦型」「熊電型」など、各電力会社の名前をつけたOEM製品を供給した。このことは、既存のラジオ販売業者に大きな影響を与えることになった。

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電池式ラジオの再出発

昼間無送電の地域に対して電力会社の助けを借りずにラジオを普及するには電池式ラジオが必要であった。また、1931年には満州事変が始まり、ニュースに対する関心が高まった。また、大型台風など災害が相次ぎ、災害時のラジオ聴取に対する要望も強かった。1932年頃からラジオの普及を図りたいラジオ産業、放送局、ラジオ関係マスコミの間では、再び電池式受信機を普及させようという議論が巻き起こった。

しかし、交流式ラジオ全盛の時代にあって、電池式ラジオに向いた新しい部品は開発されていなかった。電池式ラジオを作ろうにも消費電力の小さな真空管、高性能で小型の電池といった部品がなかったのである。 また、電池式受信機普及の障害となったのは、皮肉にも日本の高い電気普及率であった。日本では昼間送電のない地域が多かったといっても、全国の電灯普及率は89%に達していた。この時、アメリカでは68%、イギリスでは44%であり、これらの国々では電池式ラジオが普及していた。

日本の電池式ラジオの市場は小さかった。従って部品やセットの開発、生産に投資しようとする意欲は高まらない。特に多額の設備投資を要する電池産業では、需要の少ない特殊なラジオ用電池の開発には消極的にならざるを得なかった。
このため、業界横断で開発、普及を進めようとする動きが始まった。

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電池式受信機普及会の設立

1933年7月8日、東京で電池式受信機普及会が発足した。主催者となったのは、業界紙を発行していた放送サービス社社長、岩間正雄であった。メンバーは、放送協会、ラジオメーカ、電池メーカ、卸問屋、業界マスコミ関係者などが集まり、活動が開始された。前述のように、優秀で安価な電池式受信機を作るための部品がないところから、この会の活動は、単なる普及啓発や、行政との窓口ではなく、メーカ同士の垣根を超えた一種の共同開発がその中心となった。

1933年7月31日の第1回研究会では、KO真空管から、新型の電池用低電力真空管が発表された。UX-166, UX-167, UY-169 の3種類であり、外国製品のライセンスではなく、同社独自のものである。11月には、同社からより低圧、小電流化したUX-111A, UX-133, UX-134, UX-166B, UX-167B, UY-169B が発表された。

 1933年10月には、ラジオ及び部品の標準品が決定した。ラジオは下記の3種類の普及制定受信機が定められた。

A型 近距離聴取用純乾電池式2球 A109またはUX109  2球 乾電池式(A:F1A,B:F2B)
  
B型 近距離聴取用経済受信機 UX230-UY233/UX166-UY169
  電池(A:F1A型乾電池 or 普及会制定2V4A蓄電池, B: F2B/F2B/F3B型乾電池)

C型 中距離聴取用経済受信機 高一 232-230-233 / 167-166-169
  電池(A:F1A型乾電池 or 普及会制定2V4A蓄電池, B: F2B/F2B/F3B型乾電池)

B,C型には酸化銅整流器式交流電源が付く。A電池はスイッチを切れば自動で充電される。

乾電池は下記の品種が標準品として定められた。

A電池:F1A: 1.5V5Ah,
B電池:F1B: 45V3Ah, F2B: 73.5V1Ah, F3B: 22.5V3Ah

真空管については、アメリカ式の30,32,33およびフィリップスのA109を国産化したUX109に加えて上記KOの166,167,169の3つの系統が並存した。また、空間電荷格子を持った低電圧用真空管UX-111があった。文献(3)で、放送協会の苫米地 貢は、電池式受信機普及会の活動について言及した中で、下記のように記している(仮名遣い、漢字は筆者が修正)。

普及会にてはC型受信機をもっとも標準的なものと認め、且つ将来最も普及性あるものとして、是に力を注ぐことになり、すでにラヂオ業者によりは製品として売り出されつつあります。

このように、主に放送局から離れた地域で使われる電池式受信機については、高周波付き、かつA電池を充電可能にしたC型を標準とすることになった。

当館には、C型受信機相当の改造セットが収蔵されている。

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電池式受信機普及会A型受信機 2球再生式 製作者不明 1935年

 

 

TUBES: UX-111 UX-109 , A: DC1.5V, B: DC45/19.5/16.5V

電池式受信機普及会A型に相当する乾電池式の2球受信機。本体の幅が27cmほどしかない小さなセットで、本体とバッテリーケースを重ねて使うようになっている。本来の規格と異なり、検波管に空間電荷4極管のUX-111を採用している。出力管は規格通りマツダのUX-109である。部品は、一時代前の電池式受信機が全盛だったころのバリコンやトランスが使われている。再生はスパイダーコイルを動かすバリオカプラーで調整する。これも1935年当時、すでに古くなっていた技術である。この構成ではスピーカを十分な音量で鳴らすことは難しく、レシーバを使ったものと思われる。

このセットは、パネルのレイアウトが不揃いなことなどからみて、アマチュアの手作り品と思われる。使用感は少なく、オリジナルのままである。、作ってみたものの実用的ではなく、小さすぎて改造にも適さなかったので、そのまま残されたのだろう。バッテリーケースの空いた部分にA電池が入っていたと思われるが、失われている。

(所蔵No.11A042)

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改造電池式受信機普及会C型受信機 1935年頃

 

 

TUBES: 167-166-169、 A:DC2V、B:DC45V

昭和初期、1928年ころのUX-201Aを使用した電池式受信機を改造して、電池式受信機普及会C型中距離用相当の受信機を組み立てたもの。回路は、KO真空管の新型経済球を使用した高周波1段式である。受信するときは基本的に電池のみを使用する。

電源に特徴があり、日本信号(株)製/日本トレイヂング商会販売の酸化銅整流器付トランス(放送協会認定品:放71011)を使用している。これは、小型のトランスに特許84505、91678号特許を使用した酸化銅整流器を組み合わせたもので、2V0.4Aの直流出力を得られる。認定番号71011は、トランスではなく、金属整流器の認定番号で、この製品はその1号機である。セット側面に追加されたナイフスイッチをOFF側に切り替えると、A電池が受信機から切り離されて整流器に接続され、充電される。このような旧式受信機を改造する例は当時の資料にはないが、電池式受信機普及会の仕様をもとにして作ったものと考えられる。
(所蔵No.11896)

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非常時対応交直両用受信機(国防受信機)の開発

1937年に日中戦争が始まると、「非常時」が叫ばれ、日本は「戦時」を常に意識する世の中になっていった。軍や出征兵士の留守家族などにとってはラジオのニュースは重要であった。このため、山間部の無電灯地域で使用される電池式受信機だけでなく、昼間の送電がない定額電灯の地域、世帯であっても、いつでもラジオが聞けるように電気が来ている時に交流電源を備え、送電時にはこの電源で蓄電池を充電し、停電時や昼間送電のないときは電池で受信するというタイプの受信機が求められた。

そこで電池式受信機普及会の標準C型に近い受信機として市販されたのが、国防受信機である。「国防受信機」は、商品名であるが、商標登録したものではないらしく、同種の国防受信機と称する製品が、原口無線電機と二葉商会電機工作所から発売されている。フタバのカタログの説明には

1. 国家非常時に際し万一電気の供給が中絶致しましても本機は何等の変りも無く易々としてラジオを聴取する事が出来ます。

2. 在来の受信機は昼間電気のない場合には全然聴取出来なかったものですが、本機は夜間の電気で昼間電気がなくても受信が出来ます。
  (原文はカタカナ、句読点なし)

とある。「国家非常時」とは、戦時というよりは台風などの災害による停電を意味したものと思われる。

 国防受信機の特徴は:

(1)電池用真空管を使用したマグネチックを駆動する再生式受信機
(2)電池に充電可能な錦生コロイド蓄電池を使用(機種により乾電池を使用するものもある)。
(3)A電池充電用に亜酸化銅整流器を、B電池充電用に12B/Fの整流管を備え、交流電源を使用するときにはラジオの電源としても使用。

というものである。

まず国防受信機の最も初期のもので基本的な形態であるハラグチM-46型を見てみよう。取扱説明書に記載された回路図は次のとおりである。

 
M-46型取説表紙外観写真と回路図 (1934年)

これはごく初期型の回路図で、パネルに電源スイッチを備えていない。このため、充電用電源はACに接続されたままになる。昼間電気のない地域で使用する前提で必要ないと判断されたようだが、この回路では電気が来ている限りA電池は充電されたままになる。取説の本文では電源スイッチがある説明になっている。この回路は試作のみかもしれない。

A、Bとも整流回路出力に平滑コンデンサを設けていない。このため、A電池は充電しながらラジオを聴くことができるが、B電池は整流管を接続するとかなりハムが入り、使えなくはないが快適とはいえない聴取状態になる。一充電でA電池は10時間、B電池は40時間使用できる。B電池のほうが充電の頻度が低いため実用になると判断されたのだろう。説明書では、A電池は、電池で使用した時間分だけ充電すればよいとされている。

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国防受信機


ハラグチ国防受信機 M-46型 高一付4球 原口無線電機(株)/日本トレイデング商会 1934-37年頃  66.00円

Haraguchi Model M-46 AC/DC, TRF, 4 Tubes, Haraguchi Musen Denki K.K. 1934-37? JPY 66.00

 


(上)シャーシ(下)本体の銘板

TUBES: 232 - 230 - 233 - KX-112B, TRF, Magnetic Speaker, A: 2V 5Ah, B: 60V 0.5Ah(いずれも錦生コロイド電池)
セット下部に電池室を備える電池式受信機の典型的なスタイルをとる初期の国防受信機。蓄電池を電源とすることからセルの電圧2Vに適合するアメリカ式の電池管を東京電気が国産化したシリーズを使用する。A電源は亜酸化銅整流器で整流している。回路は検波管が3極管であることを除けば通常の高一受信機といえるが、交流受信機と異なり、音量調整を備えていない。電池は、A,Bとも整流回路の出力に接続されており、平滑コンデンサはない。この種のセットは基本的に電池で使用する。電源回路は充電器として使用する。電源回路は側面のスナップスイッチによりA,B独立して断続できるようになっている。スイッチは通常と異なり、上側が「断」、下側が「充電」となっていて、電源スイッチではなく、充電スイッチとされている。銘板にラジオメーカだけでなく、電池メーカの名前も入っている。この機種は、長期間作られたため、キャビネットのデザインに数種類のバリエーションがある。

本機は、真空管が2本失われている。ツマミは同型のレプリカである。

掲載誌:無線と実験 1936年7月号
(所蔵No.11609)
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ハラグチ国防受信機 M-57型 高一付5球 原口無線電機(株)/日本トレイデング商会 1935年 76.00円

Haraguchi Model M-57 AC/DC, TRF, 5 Tubes, Haraguchi Musen Denki K.K. 1935 JPY 76.00
 


TUBES: 32-30-30-33-12B, TRF, Magnetic Speaker, (A) DC 2V 5Ah, (B) DC60V 0.5Ah
 M-46型に低周波増幅を1段追加して5球としたもの。感度不足を補うために後から追加されたモデル。キャビネットのデザインが異なるほか、サイズやバッテリーはM-46型と同じである。

本機はバッテリーの電解液により、キャビネットのパネルが腐食、破損している。また、内部の部品はスピーカを除きすべて失われている。現在はダミーのシャーシを取り付け、レプリカのツマミを使用している。
掲載誌:無線と実験 1936年7月号
(所蔵No.11845)
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原口無線の国防受信機には、4球、5球ともにB電池を120Vとしたモデル、M-48型、M-58型が1935年に追加された。また、純乾電池式のため、国防受信機とは異なるが、同じ系列の製品に、品川電機(KOトロン)が1936年に発表した低電圧真空管UX-1K, 2K, 3K を採用したM-47型(B:30V)が販売されていた。

次に、国防受信機を発売したもうひとつのメーカ、二葉商会のFB-4型を見てみよう。

フタバ 国防受信機 FB-4型(初期型) 高1付4球再生式 1935年 二葉商会電機工作所/中国合同電気(株)

Futaba Model FB-4 (Early Model) AC/DC, TRF, 4 Tubes, Futaba Radio Works 1935

 

TUBES: 32-30-33-12B, TRF, Magnetic Speaker, AC100V 50/60Hz or (A)DC2V 4Ah and (B)DC60V 0.5Ah (いずれも錦生コロイド電池)

回路はハラグチM-46型とほぼ同じであるが、デザインは大きく異なる。A電池をラジオのシャーシの横の空間に置き、下部の電池ケースにはB電池のみが納まるため、電池ケースが薄型になり、原口のモデルよりも背が低い。真空管はアメリカ式の電池管を東京電気が国産化したシリーズを使用する。回路は検波管が3極管であることを除けば通常の高一受信機といえるが、交流受信機と異なり、音量調整を備えていない。

A電池は普及会型A蓄電池(2V 4Ah)が使われている。A電源は亜酸化銅整流器で整流している。電池は、A,Bとも整流回路の出力に接続されており、平滑コンデンサはない。この種のセットは基本的に電池で使用し、電源回路は充電器として使用する。電源回路は側面のスナップスイッチによりA,B独立して断続できるようになっている。スイッチは通常と異なり、上側が「断」、下側が「充電」となっていて、電源スイッチではなく、充電スイッチである。待機時は「充電」、使用時は「断」という、電池中心の使い方が良くわかるレイアウトである。

この製品の銘板には「中国合同電気」の名前があり、電灯会社で販売されている。カタログには関西を中心に多くの電灯会社が納入先として掲げられている。昼間送電のない地域へラジオを売り込むために国防受信機が使われたことがわかる。

本機は、スピーカ、真空管が失われている。ツマミは1個だけ残っていたので、レプリカを取り付けた。

(所蔵No.11A246)

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初期のフタバFB-4型は、複雑な構造のキャビネットで、A電池の容量が小さい欠点があり、型番を変えずに原口の製品とほぼ同じ構造に変更された。シャーシは全く同じである。

フタバ国防受信機 FB-4型(後期型) 交直両用高一付4球再生式受信機 二葉商会電機工作所 1936年4月

Futaba Model FB-4 (Later Model) AC/DC, TRF, 4 Tubes, Futaba Radio Works 04/1936
 
  
 
TUBES: 32-30-33-12B, TRF, Magnetic Speaker, AC100V 50/60Hz or (A)DC2V and (B)DC60V

ハラグチの製品とほぼ同じ構造、サイズとなったフタバの国防受信機。回路はハラグチM-46型とほぼ同じである。アメリカ式の電池管を東京電気が国産化したシリーズを使用する。A電源は亜酸化銅整流器で整流している。回路は検波管が3極管であることを除けば通常の高一受信機といえるが、交流受信機と異なり、音量調整を備えていない。

電池は、A,Bとも整流回路の出力に接続されており、平滑コンデンサはない。この種のセットは基本的に電池で使用する。電源回路は充電器として使用する。電源回路は側面のスナップスイッチによりA,B独立して断続できるようになっている。スイッチは通常と異なり、上側が「断」、下側が「充電」となっていて、電源スイッチではなく、充電スイッチとされている。待機時は「充電」、使用時は「断」という、電池中心の使い方が良くわかるレイアウトである。

なお、本機は近年修理を試みて断念したものらしく、シャーシの部品がほとんど失われている。

下側のツマミ2個はオリジナルと異なる形状のものが付いていたので、似た形状のレプリカを取り付けた。

フタバの国防受信機には、キャビネットがFB-4型と共通で、低周波増幅段(30)が1段多い5球式のFB-5型もあった。
掲載誌:無線と実験 1937年9月号

(所蔵No.11843)

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フタバ 国防受信機 FB-5型 高一付き5球受信機 1937年 65.00円

Futaba Model FB-5 AC/DC, TRF, 5 Tubes, Futaba Radio Works 1937

 

TUBES: 32-30-30-33-12B, TRF, Magnetic Speaker, AC100V 50/60Hz or (A)DC2V and (B)DC60V

ハラグチの製品とほぼ同じ構造、サイズの国防受信機。回路はハラグチM-57型とほぼ同じである。FB-4型に低周波増幅を1段追加して音量を稼ぐようにした上級モデルである。シャーシやキャビネットのサイズは同じだが、デザインは微妙に異なる。

国防受信機のキャビネットは電池の電解液で傷んでいるものが多い。これは当時から問題になったようで、FB-5型は型番を変えずに1937年9月頃、電池ケースを別の箱とした形にモデルチェンジした。価格に変更はない。同時に整流管を12Fとし、B電源のスイッチを多極としてB電池を完全に切り離して電池の消耗を防ぐようにした。また、この改良とともに二葉商会は4球式などの他の交直両用機種を整理し、FB-5型に集中する方針とした。

掲載誌:無線と実験 1937年9月号

掲載紙:「フタバ国防の主力FB-5型に集中 初期光を改良・増産」『ラヂオ公論 第253号』 (ラジオ画報社 1937年9月3日)

(所蔵No.11843)

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  国防受信機用の電池


A電池

普及会A型蓄電池 錦生コロイド電池 2V 4Ah 発売元:(合)日本トレイデング商会

普及会型 DC2V 4Ah 
初期の国防受信機に使われた、電池式受信機普及会指定のA電池。錦生コロイド電池は、ゲル状の物質で極板を保持することで、ドライアップしにくく、長期間使用でき、放電状態で放置しても劣化しにくいという特徴を持つ。寸法は、巾9cm、高さ14cm、厚さ3cm で薄型のため安定性は悪い。

(所蔵No.11A246)

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国定型錦生コロイド蓄電池 A-5型 発売元:(合)日本トレイデング商会 製造:錦生電機製作所

A-5型蓄電池(A 用、DC2V 5AH)
普及会型A蓄電池の改良型で、幅を狭くして厚みを増やし、容量を4Ahから5Ahにアップしている。

(所蔵No.11A067)
松下No.4 コロイド蓄電池 松下電器製作所

 A 用、DC2V 5AH
国防受信機用の松下製A電池。日本トレイデング商会製のものと同規格である。

本機は、端子のナットが失われている。

(所蔵No.10083)

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B電池

錦生コロイド蓄電池 国防型B-1 型 発売元:日本トレイデング商会 製造:錦生電機製作所

  国防型B-1型蓄電池(B 用、DC60/44V 0.5AH)
B電池はが60V(検波管は44Vのタップを使う)である。錦生コロイド電池は、ゲル状の物質で極板を保持することで、ドライアップしにくく、長期間使用でき、放電状態で放置しても劣化しにくいという特徴を持つ。

B電池はほぼ同一形状で名称が「国定K-6型」となっているもの(下写真)も確認されている。
掲載誌:無線と実験 1937年9月号

(所蔵No.11843 / 11A067)

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錦生コロイド電池の充電管理
ゲル状の物質を使った錦生コロイド電池は、放電状態で放置しても劣化しにくかったが、電解液が蒸発して乾燥すると劣化する為、定期的な補充が必要だった。電解液は鉛蓄電池などと同じ希硫酸と蒸留水を使用するが、比重が異なり、通常の鉛蓄電池の1.2に対して、4倍に薄めて1.05にして使う。希硫酸は2か月に1回程度の間隔で補充する必要があった。

液の補充は、下の写真の各セルの排気口から、専用のスポイトで行った。スポイトで穴からあふれるまで注入し、内部に浸透するまで待ってから不要な液をスポイトで吸い取って適正な液量に保つようにする。穴径と電池の寸法からスポイトの寸法が決められているので、専用のスポイトで不要な液を除液すれば、液量を維持することができた。

カタログによればA電池は10時間、B電池は40時間使用できたという。バッテリーの注意書きには、過放電に強く、荷重電に弱い特徴から、むやみに充電しないようにとある。

ラベルが異なる初期のB電池 1935年 (所蔵No.11A246)

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室戸台風 -大災害とラジオ-

国防受信機が発売されて間もない1934年9月21日。超大型台風が関西地方を襲った。室戸台風である。700ミリバールを切るという低気圧と風速計が破壊されて正確な数値が不明という60mを超える最大瞬間風速を記録した台風は2,866人の死者を出す大災害となった。特に上陸が通学時間帯に当たった大阪では、水害と校舎の倒壊によって269人の児童の犠牲者が出た。

この大災害に対して、ラジオは、停電によってその力を十分発揮できなかった。当時、放送局には非常電源として4時間分の蓄電池しかなく、1時間に1度、短時間のニュースを放送することしかできなかった。危惧されたとおり、停電によって大半の交流式受信機は使えなくなり、電気が復旧した翌日まで使用できなかった。まだ少数残っていた旧式な鉱石受信機や電池式受信機を使っていた聴取者のみがかろうじて放送を聴くことができた。(11)

滋賀県栗太郡(現大津市)上田上尋常小学校では、教頭がラジオニュースを聞いて児童を避難させ、難をまぬかれたという記録が残っている。NHK放送博物館には、この時に学童を被害から救ったとされているフタバFB-5型国防受信機が所蔵、展示されている。しかし、セットの銘板に刻印された製造年月日1936年6月と整合しない。提供者の記憶に誤りがあったものと思われる。実際には、もっと旧式な鉱石か電池式受信機でニュースを聞いたのではないだろうか。この国防受信機は、その経験を踏まえて防災用に購入されたものと考えるのが妥当だろう。

放送協会では、電源を確保できなかった反省から年末までに全国27局に非常用発電機を設置した。しかし、電池式受信機は普及せず、ラジオが災害時にその威力を発揮するのはトランジスタラジオが普及した1960年代以降である。

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その後の国防受信機

国防受信機には、前項に紹介した電池を常に接続し、電池を仲介しながら駆動するタイプが最初に製品化されたが、このタイプは電池用真空管を使用していることから、充電しながらラジオを聴こうとすると、どうしてもハムが出るという問題点があった。また、A電池はともかく、高圧のB電池は充電管理によって劣化しやすいという問題があった。

これらの問題点の解決を図るために、改良型のセットが企画された。まず、充電の手間を軽減するために、寿命の長いB電池は乾電池とし、A電池のみを蓄電池としたセットが用意された。これは標準C型と同じものである。B電源は交流電源で動作するリレイで自動的に切り替わるようになっている。このタイプとしては、フタバF-400型があげられる。

検波時のハムを解決する方式として、交流用、直流用に2本の検波管を備え、A、Bともにロータリースイッチで電源を切り替えるようにしたものが現れた。このタイプの場合は、交流で使用するときはA電源が直流である以外は、通常の交流受信機と変わらない回路となる。このタイプの例として、フタバ国防受信機F-600型を挙げる。原口無線でも、1938年には新型国防受信機として同様の製品を発売していた(9)。

フタバ国防受信機 F-600型 交直両用高一付6球再生式受信機 二葉商会電機工作所 1938年1月

Futaba Model F-600 AC/DC, TRF, 6 Tubes, Futaba Radio Works 01/1938
 
 
TUBES: 32-30-56-30-33-12B/F, TRF, Magnetic Speaker,
検波管を2種類備える方式の国防受信機である。56が交流用、30が直流用の検波管で、左側のロータリースイッチで切り替える。

本機のキャビネットは横型のもので、バッテリーは別の箱に収めてセット外側に置かれる。キャビネットは虫食いのため崩壊していた。また、シャーシは58-56-56-12A-12Fの純然たる交流受信機に改造されている。このためバッテリーのケーブルは失われている。

(所蔵No.11844)

このタイプの国防受信機は、確かに充電しながら交流でも使えるようになったので便利にはなったが、交流用と直流用で独立した検波管を持ち、高一受信機で6球というのは余りにも無駄が多い。検波管に直流用の32を採用し、4球で充電とラジオ聴取を併用できるようにした改良型の国防受信機が開発された。

キャラバン国防受信機 DM-470型 交直両用高一付4球再生式 原口無線電機(株) 1939年頃
 
 

 
TUBES: 32-32-33-12F, TRF, Magnetic Speaker, AC100V 50/60Hz or (A)DC2V 5Ah and (B)DC45V 2Ah

新しい世代の国防受信機である。「昼」「夜」と書かれた切り替えスイッチがあり、昼は電池、夜は交流電源でラジオを聞きながら電池を充電できるようになっている。AとBで電池の消耗が異なることから、従来の国防受信機同様、A,B独立した充電スイッチがキャビネット側面に設けられている。A電池は、従来型と同じ錦生コロイド電池と思われる。B電池はF-600型で乾電池になったが、コストと入手性を考慮したのか、この機種では再び二次電池に戻された。充電間隔を伸ばすために、0.5Ahから2Ahへと容量が増やされている。電池は電池ケースに収められ、UX型ソケットが設けられていた。ラジオ本体からはACコードと電池接続用コードの2本が出ている。ラジオの下に置く形の電池箱だったと思われるが、失われている。

この機種が、確認されている中では最も新しい国防受信機である。

本機は、同調ツマミが失われていた。同型のものを取り付けたが、違う形のものが付いていた可能性もある。

充電スイッチは改造されていると思われる。

(所蔵No.11A244)

このタイプの4球の国防受信機は、戦時統制の標準品には選ばれず、検波管を2本使う6球式が選ばれた。くわしくはこちら

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国防受信機以外の電池式ラジオ

電池式ラジオは国防受信機以外にも1937年頃から39年頃にかけて、専門メーカといえる白山電池(オーダ、ビオン)、国防受信機のフタバ、ハラグチなどからかなりの品種が発売されたが、絶対数は少ないものだったと思われる。ここで、国防受信機以外の乾電池専用の電池式ラジオを紹介する。

エレバム防空受信機 1937年頃 宮田製作所
 

TUBES: 30-33-30 KX-25B (Elevam), Magnetic Speaker

エレバム真空管の製造元、宮田製作所がセットメーカに進出したときに製作した交直両用受信機。アメリカ系の30と33を使うが、フィラメント電圧を下げたオリジナルの整流管25Bを採用している。国防受信機と異なり、バッテリーはセット上部に搭載される。パネル左端に充電スイッチがあり、国防受信機と使い方は同じと思われる。「防空」にはそれほど深い意味はないのではないか。「国防」と違う言葉を選んだという程度のものだろう。

本機は、B電池がなく、バッテリー接続コードが外されて、戦前の新聞紙でくるまれた状態で発見された(現在は接続しなおしてある)。ACコードも失われているが、バッテリーが劣化した後、交流専用として使われていたようである。

(所蔵No. 11A298)
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高砂 D.188型 3球直流式受信機 高砂工業(株) 1935年頃
 

TUBES: 不明、Magnetic Speaker, A,B電池仕様:不明

日本乾電池のブランドで知られる乾電池大手の高砂工業が作った電池専用の再生検波低周波2段の3球式ラジオ。UXのソケットが3個あるが、真空管が失われているので電池の仕様も含めて正確な構成は不明である。電池のリード線にはUXプラグが取り付けられていることから、組電池になっていた可能性が高い。電源トランスがなく、低周波トランスがシャーシ上に置かれているので、シャーシの厚みは2cmほどしかない。電池式にもかかわらず、ピックアップ端子が装備されている。

本機は、真空管が失われているほか、電池ケースの隔壁が失われている。

(所蔵No. 11A181)
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エーブル高周波2段5球電池式受信機(株)広瀬商会 1939年
 
TUBES: UY-167 UY-32 UX-? UF-111A UX-169

これは、乾電池を外付けして使用するセットである。広瀬商会の4球ダイナミックセット(58-57-47B-12F)、S-4D8型のキャビネットとシャーシを流用して組み立てられている。シャーシは流用のため穴を追加工しているが、元からある空いた穴にねじをとめた形跡がないことから、改造ではないようである。元のアンテナ端子がスピーカ端子になり、ピックアップ端子の位置(中央)に、アンテナ端子が付けられている。スピーカは失われているが、マグネチックだったと思われる。また、UF-111AはUXソケットに挿入されている。これは後の修理によるものと思われる。同社の商報(12)によれば、この年にABLEブランドの電池式受信機は存在しない。現在のところ、このセットの詳細は不明である。

(所蔵No.11941)

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国防受信機、電池式ラジオのその後

1934年から、財政基盤の弱かった電池式受信機普及会は、日本放送協会の補助を受けることになった。電池式受信機も放送協会認定の対象となり、最初に1937年2月にフタバF-400型が認定を受けた(放16011)。翌1938年に白山電池(合)のオーダ神風号と、報国3号の2種類が認定されたが、その後認定品は増えず、認定された3種類とも認定の期限が切れた1940年以降継続されなかった。

非常用受信機としては、鉱石受信機または鉱石検波器に単球または2球程度の低周波段を付けた電池式セットの利用も推奨された(8)が、鉱石式は都会の電波の強い地域でしか使用できず、それでも大型のアンテナ、アースが必要だった。しかし、都会ではアンテナの設置は困難なことが多く、現実の電界強度は計算上の数値よりかなり低かったことから普及しなかった。

電池式受信機が多く使用された例として、1936年に全国各地の灯台に設置されたものがある。これは、皇太后陛下の御下賜金をもとに、灯台局が社団法人「燈光会」を通じて設置したものである。交流電源のない灯台には、コンドル、原口などの電池式受信機が用いられた(10)。これは防災用というよりは、職員の慰安を主な目的としたものだった。

電池式受信機普及会の活動にもかかわらず、電池式ラジオのシェアは、エリミネータ受信機の普及が始まった1931年以降、減り続けた(1)。信頼の置ける1937年の新規加入者に対する統計(5)によると、電池式受信機のシェアは2.4%にすぎない。普及しなかった原因は、ラジオの性能が低いことと、維持費(電池のコスト)が高いことである。

セットの価格については、1939年ころには、電池なしの価格で同じ構成の交流受信機と変わらないレベルまで下がっていた。しかし、30-33の電池式に対して、47Bを使った交流式と比較すれば、出力が低いことは明白で、大音量は望めなかった。また、同じメーカ同士でセットの価格が変わらなくても、電池式ラジオは大メーカの製品が中心なので、中小メーカの格安ラジオに比べれば割高だった。電池のコストは形式より異なるが、乾電池で一式5円程度である。教員の初任給が45円程度の時代にあっては数ヶ月に1度の交換といえ、安いものではない。

電池式受信機普及会がいつまで続いたかは明確ではない。しかし、その消息は1941年を最後に途絶えている。太平洋戦争開戦後、戦況の悪化に従ってラジオやラジオ部品そのものの入手が非常に困難になっていった。その後の戦時下の電池式受信機についてはこちら

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教育現場における電池式ラジオ

一般の聴取者と異なり、電池式ラジオが普及していたのが学校教育用ラジオである。電気が来ていない地域にも小学校はあるため、1935年の全国向け学校放送開始以来、直流式ラジオが多く施設されたのである。1937年の調査では小学校に設置されたラジオのうち直流式が13.5%、交直両用が2.3%と、一般の聴取者の5倍にもなる。文献(4)(13)に、奈良県吉野郡の無電灯村であった池津川尋常小学校に設置されたラジオの経緯が紹介されている。当時の直流受信機の様子が良くわかるので引用する。

1. 109 109 109再生検波・低周波2段 乾電池使用
2. 109 109 109, 110 高周波1段追加 乾電池使用

  音量不十分、乾電池の補給に悩み改造。
3. 201A 201A, UX-112A 再生検波・低周波2段 A:蓄電池、B:乾電池
4. 201A 201A 201A 112A  高周波1段追加 A:蓄電池、B:乾電池

  充電の煩に耐えかね改造
5. 32 32 32 30 33 高周波2段・再生検波・低周波2段 乾電池使用

当時の苦労が偲ばれる経緯である。当初のUX-109再生検波3球では、消費電力は小さくとも感度は不十分だっただろう。しかし、高周波を1段追加したら電池の消耗が激しくなってしまった。入手も大変だしお金もかかるということで、今度は放送開始期と変わらない旧式なUX-201Aを使ったセットに組み替え、6Vの蓄電池を使うようにした。部品の入手は容易で音量は十分だっただろうが、電気のない村である。今度は10キロ近いバッテリーを抱えて電気のある町まで充電のために往復しなければならなくなった。実際には馬に載せて往復6里の山道を往復したそうである。あまりに充電のための輸送が煩雑で、鉛電池の希硫酸が嫌われて馬方が良い顔をしないことから、DC20V6Aのダイナモを購入して水車小屋に取り付けて充電したという。最終的には再び電池管を使い、高周波2段の乾電池式セットに落ち着いたようである。

これらのラジオはすべて校長先生の自作によるもので、学校放送開始前から自作に取り組んでたのが生かされたという。学校教育にかける情熱があればこそこれだけの手間をかけられたのだろう。よほどお金に余裕があるか、ラジオマニアでもない限り、山間部の一般の聴取者が電池式受信機を買って維持できたとは思えない。

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参考文献

(1) 平本 厚 「電池式受信機普及会」 (『東北大学研究年報』 Vol. 65 No.3 2004年)
(2) 『電気普及資料』 1936年5月
(3) 日本放送協会編『ラジオ年鑑』 昭和13年版 (日本放送出版協会 1938年)
(4) 日本放送協会編『学校放送25年の歩み』 (NHKサービスセンター 1960年)
(5) 『無線と実験』 昭和9年6月号 (誠文堂新光社 1934年)
(6) 『無線と実験』 昭和11年7月号 (誠文堂新光社 1936年)
(7) 『無線と実験』 昭和12年8月号 9月号 (誠文堂新光社 1937年)
(8) 飯沼 元「現在普及している家庭用受信機の欠陥と其の対策」 『無線と実験』 昭和12年1月号 (誠文堂新光社 1937年)
(9) 『無線と実験』 昭和13年5月号 6月号 (誠文堂新光社 1938年)
(10) 海上保安庁灯台部編 『日本灯台史』 (燈光会 1969年)
(11) 廣井 脩(ひろい おさむ)『災害報道と社会心理』 (中央経済社 1988年)
(12) 『広瀬卸商報』 昭和14年9月号 ((株)広瀬商会 1939年)
(13) 西本三十二 『学校放送の理論と実際』 (目黒書店 1935年)

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