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真空管ラジオの終わり
The End of Tube Radio
1960-67
1960年代に入るとトランジスターラジオが普及してくる。それでは真空管ラジオはいつまで作られたのだろうか。
はじめに生産台数からみてみると、1957年には真空管式96万台に対してトランジスタ式61万台と、真空管式のほうが多いのが、'58年には真空管式220万台に対してトランジスタ式250万台と台数で逆転し、1959年には真空管式210万台に対してトランジスタ式790万台と圧倒的にトランジスタ式が多くなっている。ちなみにこの年のメーカーのシェアを見ると、トップの松下(16%)に次いでソニーが、もちろんトランジスタだけでで2位(12%)のシェアを占めている事からもトランジスタラジオの成長ぶりがうかがえる。
しかし、トランジスタラジオの躍進は輸出が軌道に乗ったためで'59年のトランジスタラジオの輸出比率は90%だから国内販売台数は80万台程度でまだまだ真空管式が大きなシェアを占めている。実際、松下の1960年の総合カタログを見ると、トランジスタ式18機種(内ポータブル15、卓上型3機種)、真空管式は26機種(内プラスチックキャビの卓上型が13、Hi-Fi型が10、FM付きが3機種となっており、真空管式のほうが機種、バラエティともに豊富である。また、価格的にもトランジスタラジオが8石2バンドで1万円を越えているのに対しプラスチック製の2バンド5球スーパーは7-8千円で、価格的にも優位で、まだまだ商品価値を持っていたといえる。このカタログにも存在しない真空管式ポータブルは統計上1960年には絶滅してトランジスタに置き変わった。
この時代の雑誌広告を調べてみると、1958年を境に真空管式ラジオの広告がなくなっていることがわかる。この年が真空管式とトランジスタ式の生産が逆転した年というだけでなく、翌年の皇太子ご成婚を前にテレビが爆発的に普及し、ラジオが家庭の中心から追い出され、自動車用を含む個人用のメディアへと変化した転換期に当たると考えられる。このことは卓上型よりもポータブルのトランジスタラジオの普及を促し、広告の変化もこの状況に合わせたメーカーの営業姿勢の変化を表しているといえる。
この後、真空管式ラジオは安価な卓上型(真空管時代のポータブルラジオという言葉がなくなり、大半がポータブルのトランジスターラジオに対してルームラジオ、ホームラジオという言葉が生まれた)と、ラジオと言うよりローエンドのオーディオ機器といえる大型のHi-Fiラジオの2つに分かれていった。
各社の資料を調べてみると、真空管式ラジオは三洋電機の社史では1964年11月発売のFM-201が最後である。三菱電機の'63年のカタログではトランジスタ9機種に対して真空管式5機種で、少なくなってはいるが、真空管式はまだ健在。また、トリオも'63年製のFM付きラジオが確認されている。松下電器では"MATIONAL
PANASONIC"ブランドで1964年の製品が確認されている。
1967年の広瀬有名品綜合型録によると、この年に家庭用真空管ラジオをラインナップしているのは、松下とオンキョー、リンカーンで、機種も極端に少なくなっている。他社はホームラジオもトランジスタラジオのみになっている。いわゆる「5球スーパー」は実質的に1964(昭和39)年を境に、昭和30年代とともに消えたとして良いと思われる。
しかし、これは電気店で購入できた家庭用の完成品の話であってアマチュア用のキットや短波ラジオの形では5球スーパーはまだまだ健在であった。例えば'62年頃発売されたSTARのSR-100型は、最後はダイオード整流の4球スーパーになったが、'74年頃まで作られたし、科学教材社のアルミシャーシにパネルを付けただけの短波ラジオキットはかなりトランジスタ化されたものの70年代後半まで販売されていた。
メーカーの完成品としてはTRIOの通信型受信機、9R-59シリーズは9R-59DSとなってBCLブームが起こった'70年代半ばまで、クーガーやスカイセンサーと共に現役であった。民生用としてはこれが最後の真空管式ラジオかもしれない。
以下に、1964年頃に発売され、1967年のカタログに残っていた真空管式ラジオを示す。
ナショナル・パナソニック RE-750D FM付き5球スーパー 松下電器産業(株) 1964-67年 9,800円(1967年)
NATIONAL PANASONIC RE-750D 5 Tube Super Matsushita Electric Industries Co., Ltd. (1964-67) JPY 9,800 (1967)
TUBES: 17EW8 - 12BE6 - 12BA6 - 12AV6 - 30A5
最後期の5球スーパーの一つ。プラスチックキャビネットの普及品である。天面と側面には木目印刷が施されている。書体は後のものと異なるが輸出用のパナソニックブランドとなり、短波は外されて現在でも普通に見られるFM-AMとなっている。真空管式だが、FM検波と整流にはダイオードが使われている。
(所蔵No.11086)
ナショナル・パナソニック RE-860 FM付3バンドトランスレス6球スーパー 松下電器産業(株) 1964-67年 16,800円(1967年)
NATIONAL PANASONIC RE-860 3 Band Super Matsushita Electric Industries Co., Ltd. (1964-67) JPY 16,800 (1967)
TUBES: 17AB9 12BE6 12BA6 12BA6 12AV6 30A5 12ZE8
松下電器の最後期のハイファイ型スーパーラジオ。すでにパナソニックブランドを併用している。76-90McのFMと、3.75-12Mcの短波を持つトランスレス3バンドスーパーである。バッジには"FM-AM"と記されていて、短波はすでに重要視されていないことがわかる。ピックアップ端子の他に、FMマルチプレックス・アダプタ用端子、録音用ミニジャックが設けられている。AMのアンテナは角度を変えられるバーアンテナ、FMは電灯線アンテナまたは外部アンテナを使用する。
(所蔵No.11837)
OS-195型 2バンド5球スーパー 1963?-67年 5,800円
TUBES: 12BE6-12BA6-12AV6-35C5-35W4
スピーカで知られるオンキョーの2バンドトランスレス5球スーパー。オーディオメーカらしい特徴は特に無い。この時代のオンキョーは、家電メーカを夢見ていたらしく、一般向けのテレビ、ラジオを生産していた。特にテレビの生産にこだわり続けたことが後年経営危機を迎える原因となった。最後まで生産された5球スーパーの一つである。現在と同じミニプラグのイヤホン端子と、ピックアップ端子を備える。
(所蔵No.11259)
参考
<物価の目安>
1964年(昭和39年)頃
小学校教員の初任給16,300円
鉛筆1本10円、電球(60W)1個65円、もりそば1杯50円
対ドルレート 1ドル=360円
参考文献
初出:『AWC会報』 1995 No.2 (全面的に加筆、訂正)