日本ラジオ博物館

Japan Radio Museum

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ポータブルラジオのはじまり
The Dawn of the Portable Reciever
1925-45


CONTENTS

初期のポータブル受信機

RCA Radiola 24 6球ポータブルスーパー Radio Corporation of America (U.S.A.) 1925年 $195

RCA Radiola 26 6球ポータブルスーパー Radio Corporation of America (U.S.A.) 1925-27年 $225

国産ポータブルラジオのはじまり

SUPERFLEX 4球再生式ポータブル メーカー不明、国産 1927年頃

手作りのポータブルラジオ 3球再生式 手製 1929年ころ (1934年頃改造) (NEW)

シャープダイン(Sharp Dyne) 338型 3球ポータブルラジオ 早川金属工業研究所 1934年 19.50円

ピーアール・ハンドラジオ 411型 久保田無線電機製作所 1935年 33.50円

ポータブルからポケットラジオへ

NORA Reise-Super K69型 Heliowatt Werke Elektrizitäts AG, Berlin-Charlottenburg. (Germany), 1938-40年 250.00RM

RCA Victor BP-10型 4球ポータブルスーパー RCA Manufacturing Co.Inc.(U.S.A) 1940年 $26.50

ニッサン 2球ポータブルラジオ(初期型) 国際電気工業(株)/日産化工商事(株) 1941年 28.00円

ニッサン 2球ポータブルラジオ(後期型) 国際電気工業(株)/日産化工商事(株) 1942年頃 

Zenith model 6G505型  6球3ウェイポータブルスーパー Zenith Radio Corp.(U.S.A.) 1941年

参考文献

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初期のポータブル受信機

ラジオを持ち運んで屋外で聴きたいという希望は放送初期からあった。ごく初期のポータブルラジオのひとつとして、RCA Radiola Superheterodyne AR-812 (1924年)があげられる。

Radiola Superheterodyne AR-812 (1924 U.S.A.) Radio Corpolation of America : RCA
 
TUBES: 6- UV-199

古典ラジオを代表する高級受信機。メーカ品としては世界初のスーパーヘテロダイン方式を採用したセットといわれる。低消費電力真空管UV-199の使用により乾電池で動作する。カタコムと呼ばれる金属ケースに回路を密封している構造に特徴がある。この受信機にはラジオラの2桁のナンバーは与えられなかった。アメリカでは$269、日本では850-950円と、家が1件建つほどの価格で販売された。アメリカではこの高級受信機が1年間で10万台も生産された。
(所蔵No.11408)

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この巨大なセットは、据え置き型の大型セットのSuper VIIIに対してポータブル型のスーパーとして企画された。乾電池を左右の箱に、ループアンテナをシャーシ後ろに内蔵し、スピーカを除いて外部接続なしに聴くことができたため、持運び用のハンドルが付いている。しかし、さすがに幅60cmを超える大型機を「ポータブル」というには無理があったらしく、当時の広告では"semi-portable"とされている。(1)

1925年にはポータブルというには大きすぎたAR-812をトランク型のケースに収めてスピーカも内蔵した本格的なポータブルラジオとしてRadiola 24が発売された。また、ウェスチングハウスで開発されたポータブルとホームユース兼用としたRadiola 26も、ほぼ同時に発売された。

RCA Radiola 24 Model AR-804 6球ポータブルスーパー Radio Corporation of America (U.S.A.) 1925年 $195
 
 

 
TUBES: 6- UX199, BC: 550-1350kc

AR-812をトランクに収めて本格的なポータブルラジオとしたもの。AR-812と異なり、ケース上部にホーンスピーカを内蔵する。G.E. が開発し、RCAが販売したモデルである。回路はRadiola Superheterodyneゆずりの199を使用した6球スーパーで、Catcombと呼ばれるケースに密閉されている。ループアンテナは回転することができる。また、家庭で使用するときに大型のバッテリーを使うためのコネクタが取り付けられている。

使用しないとき、ループアンテナはトランクのふたに収まり、皮張りのケースはふたを閉めると旅行用のトランクと見分けがつかないデザインとなっている。20kg近い重量があり、かなり重いが、自動車や使用人がいる旅ではそれほど苦にならなかったかもしれない。純粋なポータブル専用ラジオは、当時まだ特殊な存在であったらしく、ラジオラのシリーズの中では生産台数が8千台程度と非常に少ない(1)。

(所蔵No.11A026)

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RCA Radiola 26 6球ポータブルスーパー Radio Corporation of America (U.S.A.) 1925-27年 $225
 
 
TUBES: 6- UX199

ウェスチングハウスが開発し、RCAが販売したポータブルスーパー受信機。蓋に回転式のループアンテナが仕込まれている。セット下部の前側にはホーンスピーカ、裏側には乾電池が収納されている。G.E.が開発したモデルでないためか、同じラジオラであってもARナンバーは与えられていない。回路はRadiola Superheterodyneゆずりの199を使用した6球スーパーで、Catcombと呼ばれるケースに密閉されている。革張りのトランクケースに収納されるRadiola 24がポータブル専用機だったのに対し、この26型は、ウォールナット仕上げのキャビネットが採用され、家庭用として使うためのバッテリーケースが用意されていた(下写真)。
 

専用のバッテリーケースに載せた状態。電源はケース上のコネクタで直接本体と接続される。バッテリーケースにはアンテナ端子とアンテナカップラが内蔵されていて、外部アンテナを使うときに同調段を1段増やすことができる。

(バッテリーケース 所蔵No.S10030 柴山 勉コレクション)
真空管が並ぶ部分には本来カバーが付くが、このサンプルでは失われている。

(所蔵No.11812)

このような初期のポータブルラジオは非常に重く、とても気軽に持ち運べるようなものではない。当時の広告でも、自動車や馬に載せて運ぶことが示唆されている。1925年は、ポータブルラジオが本格的に作られ始めた年といえる。ほぼ同時に同じRCAからラジオラ24と26という、基本的に同じメカニズムを使って形状のみが異なるポータブルラジオが発売されたというのは興味深い。中身はほぼ同じだが、G.E.はトランク型のポータブル専用機、ウェスチングハウスは木製キャビネットの家庭用兼用機という、思想の異なる2種類の試作機から、両社の共同販売会社であったRCAとしては、どちらが市場に受け入れられるか決めかねていたというところではないだろうか。結局、両者が市販されることになった(1)。

当時、家庭用のRadiola受信機が高価格にもかかわらずモデルあたり10-20万台も生産されたのに対し、Radiola 24はわずか8,000台、24の生産中止後も継続した26型も2万台程度の生産台数に過ぎない。実用的でないポータブルラジオは商業的にも成功しなかったのである(1)。

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国産ポータブルラジオのはじまり

日本でも、昭和初期にGEのライセンスを受けた東京電気よりサイモホンC型などのトランク型ポータブルラジオが発売された。これらに倣って中小メーカやアマチュアが組み立てたポータブルラジオが現れた。一例を示す。

SUPERFLEX 4球再生式ポータブル メーカー不明、国産 1927年頃
 
TUBES: UX-199 X4, ホーンスピーカ内臓

日本製のトランク型ポータブルラジオ。デザインや構造にはラジオラ24と26の影響がみられる。ホーンスピーカを内蔵し、ループアンテナを接続するためのコネクタが上部にある。ラジオラのポータブルよりは軽量に仕上がっているが、容易に持ち運べるものではない。

本機は、真空管1本と、中央のレオスタットが失われている。

(所蔵No.S11020)  柴山 勉コレクション

手作りのポータブルラジオ 3球再生式 手製 1929年頃(1934年頃に改造)
 

 
TUBES: UV-199 UV-199 UX-201A, 5"Magnetic Speaker / 片耳レシーバ(N&K)

UV-199を2本(1本はサイモトロン、1本はRCA)使った手作りのポータブルラジオ。ケースは本来、印鑑のケースか何かだったと思われ、上蓋に取り付けられていた取っ手を側面に移動している。真空管やバリコン、スイッチなどは、大正期から昭和初期の電池式ラジオの部品が使われている。レシーバも、古いN&Kの片側を使っている。レシーバは2個接続できる。手作り然として粗雑なつくりである。

このラジオ本体には電池を収納するスペースがなく、パネルには電源接続用の端子がある。電池ケースを外部に接続したと思われる。スピーカが付いているが、出力段にはスイッチが取り付けられ、レシーバを使うときは切ることができる。上の内部写真の右側にある、小型のマグネチックスピーカやナショナルの低周波トランスは、後の時代のものである。201Aを直付けしてぶら下げている構造などに、無理のある作りが見て取れるが、このアンプ部とスピーカは1935年頃にあとから中古部品を使って追加されたもののように見える。本来はこの部分に乾電池が収納されたのだろう。ケースには、乾電池収納部の仕切りを取り外したと思われる痕跡が残っている。紫のネットに合わせたパネルの青いペイントも、この時に施されたものだろう。

(所蔵No.11A295)

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ペントードが量産されるようになった1934年頃から小型のラジオセットが作られるようになった。これらは交流電源で動作するものだが、コンドル500Eなど一部の機種には、トートバッグ状のキャリングケースが用意され、携帯できるようになっているものがあった。大正末から昭和初期にかけて、郊外電車などの交通機関の発達と中産階級の台頭によって、ピクニックや海水浴、旅行などのレジャーが盛んになっていた。このような時代背景を受けて早川金属工業からユニークなポータブルラジオが発売された。 

シャープダイン(Sharp Dyne) 338型 3球ポータブルラジオ 早川金属工業研究所 1934年 19.50円
 
  スピーカが付いている正面(左)、と操作部と放熱口がある背面(右)

 
  底部蓋の内側に電源コード掛けが付いている
TUBES: 224 247B 112B (24S 3Y-P1 12F), Magnetic Speaker

シャープのポータブルラジオ、交流式で、電池では使えない。リバー・ポケットラジオと同様、正面はスピーカグリルのみで、操作部とアンテナ端子が背面に付く特異なデザインである。アメリカ製品には良く見られるが、真空管がさかさまに納められている。当時のソケットの品質を考えると、大胆な設計である。天部にハンドルがあり、電源コードは底部に収納できる。重量は3.9kgで、十分携帯可能である。
(所蔵No.11917)

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このような交流式ポータブルラジオや、キャリングバッグ付の小型ラジオは旅先の宿で使うような用途を考えていたのだろうか。戦前の日本の放送は娯楽番組の割合が30%以下と少なく、魅力に乏しかったといわれる。民放のみのアメリカはもちろん、日本と体制が似たイギリスや国家の統制が厳しかったナチス・ドイツであっても音楽放送の割合は60%以上だった(2)。このため、「海に、山に」というような楽しげなキャッチフレーズの広告は出たが、実際に旅先で使った例は少ないと考えられる。

電池式受信機用の真空管としては、RCAのライセンスによる230,232,233のほかに、フィリップスのA109に対抗して作られたUX-109 (1932年)があった。1933年にはKO真空管からUX-166, UX-167, UY-169 の独自の低電圧真空管が、宮田製作所からは1V球のUX-166B, UX-167B, UY-169Bが発表された。本格的なポータブルラジオが日本で現れるのは、低電圧で動作する空間電荷4極管UX-111Bが1933年に東京電気(マツダ)から発表されてからである。UX-111Bは、マツダの他にエレバム、ケーオー、ドンからも発表されたが、一般に市販されたのはドン真空管製のものだけであった。(3)
1935年にUX-111Bを使ったポータブルラジオが発売された。

ピーアール・ハンドラジオ 411型 久保田無線電機製作所 1935年 33.50円
 

 
TUBES: 3- UX-111B, BC: 550-1500kc, A: 1.5V、B: 22.5V, 質量2025g

空間電荷4極管UX-111Bを3本使う再生式ポータブルラジオ。小型のケースの蓋にループアンテナが仕込まれている。パネルのシートには、日本全国と主要外地のコールサインと周波数、JOAK(東京)のラジオ体操、気象通報、株式市況、一般放送の放送時間が表示されている。このセットは、陸軍特別大演習において愛国無線隊がこのラジオの短波用のモデルを10数台使用して好成績を挙げたという(3)。付属する安中製レシーバを使うのが基本的な使い方だが、別売の「ハンド・スピーカ(5.00円)」を使用すれば、スピーカを鳴らすこともできた。(4)

掲載誌:ラヂオの日本 1935年7月号

(所蔵No.11943)

同様のポータブルラジオは1935年に高岡正義商店(ビオン)からも発売された。また、同様の111B 3球ポータブルは日本放送協会で雑音障害の雑音源探査にも用いられた。

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ポータブルからポケットラジオへ

1930年代後半になると小電力の真空管が開発され、ポータブルラジオは各国で作られた。ドイツ製の高級ポータブルラジオを紹介する。

NORA Reise-Super K69型 6球3バンドポータブルスーパー Heliowatt Werke Elektrizitäts AG, Berlin-Charlottenburg. (Germany), 1938-40年 250.00RM
  
TUBES: KK2 KF4 KB2 KF4 KC3 KDD1, Permanent Dynamic Speaker, A: DC2V, B: DC120V, LW: 900-2000m / MW: 250-550m / SW: 18-50m, IF: 468kc

スーツケース型のポータブルスーパー。商品名の"Reise"は英語では"Travel" である。W450 x H340 x D190 mm と、小型のスーツケースほどのサイズで13.5kgの重量である。自動車旅行か、使用人を連れての旅行でないと持ち運べなかっただろう。中波の他に長波と短波を備える。パネルには観音開きの扉があり、ばね仕掛けで勢いよく開く。ダイヤルにはドイツを中心に欧州各地の地名が入る。第二次大戦開戦前のためか、ロンドンは入っているが、聴取が禁止されていたモスクワは表示されていない。

金属シャーシではなく、木枠にベークライトの1枚板を固定してシャーシとしている。裏蓋に大型のループアンテナを内蔵している。バッテリーはAに鉛電池、Bに乾電池を使用する。

当時、国民受信機が35-70マルク程度だったのに対し、この機種は250マルクと極めて高価だった。日本で並四球が30円程度だったのに対しスーパーが150円程度していた関係とほぼ同じである。庶民が購入することは困難だっただろう。このメーカは経営者がユダヤ系だったため、1935年にジーメンスに買収されている。

本機はスピーカが失われている。また、交直両用に改造された形跡がある。

(所蔵No.11A169)

このように、本格的なポータブルラジオは、小型カバン程度のサイズのものしかなかった。これに対して気軽に持ち運べる本格的な小型のポータブルラジオは、1939年、アメリカRCAからミニチュア管(mT管)が発表され、翌1940年にBP-10型ラジオが発売されたことに始まる。mT管は振動に強く、スピーカを内蔵した小型ラジオを実現できるようになった。

 RCA Victor BP-10型 4球ポータブルスーパー 1940年 RCA Manufacturing Co.Inc.(U.S.A) $26.50

  

  
B電池は真空管が並ぶシャーシの上に入れる。
mT管を使った最初のラジオ。1R5-1T4-1S5-1S4の4球で小型のパーマネント・ダイナミックを駆動する。単一相当のA電池と、BL-145相当の積層型B電池(67.5V)を使用する。ループアンテナが蓋の中に収められている。このため、ラジオを聴くときには蓋を開けて使用するので、蓋を閉めると電源が切れるようになっている。真空管に合わせてバリコン、コイル、IFT、スピーカなどの主要部品も小型化されたことでハンディタイプのラジオを実現できた。日本の技術がこのレベルに達したのは1950年代も後半になる頃であった。

(所蔵No.11401)
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BP-10は日本にももたらされ、無線と実験誌にも解剖記事が掲載された。当時の技術者には衝撃だったことだろう。アメリカではBP-10は、手ごろな価格と小ささで大流行したという。日本でもmT管の試作は行われたが、太平洋戦争終結まで実用化されることはなかった。mT管と同じではなかったが、国産の小型真空管が開発され、特殊なポータブルラジオが開発された。

ニッサン 2球ポータブルラジオ(初期型) 国際電気工業(株)/日産化工商事(株) 1941年 28.00円
 
TUBES: UN-1Y3 UN-1X3, A: 1.5V (単一), B: 22.5V (ベビー電池12個)

日産自動車と同じ日本産業コンツェルンに属するメーカが発売した小型のポータブルラジオ。ベースがない特殊な小型真空管を2本使用する再生式受信機である。アンテナコイルはスパイダーコイルで、ループアンテナは備えていない。写真のように片耳のレシーバが付属する。A電源に使う単一乾電池、B電池に使うベビー電池(単三乾電池に近い規格の電池)ともに、懐中電灯などに使われていた入手しやすい電池である。重量は990gと軽量だが、強電界級に属する感度でこのセットが発売されたとき、日本では娯楽目的にポータブルラジオを使うような状況ではなかった。このラジオの広告(掲載誌、年代不明)から引用する。

「停電ノ場合ニ、送電ノナイ地方ヘ。近海漁業ニ、傷病兵士ノ慰問ニ、旅行ニ、青少年訓練、警防団等活発ナル行動ニ即応ス
(中略)
報道陣ノ新シキ武器トシテゴ活用ヲ乞ウ」

ラジオの重要性が増していた戦時下にあって、無電源地域や停電時の非常用受信機および特殊用途用として販売されたものである。

本機は、その状態から、未使用品と思われる。

 (所蔵No. m11097:愛知県、太田様寄贈)

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 ニッサン 2球ポータブルラジオ(後期型) 国際電気工業(株)/日産化工商事(株) 1942年頃 

 
TUBES: UN-1X3 UN-1X3, A: 1.5V (単一), B: 22.5V (ベビー電池12個)

ニッサン・ポータブルの後期型と思われるセット。初期型が木製キャビに直接皮を貼っていたのに対し、木製キャビの外側にループアンテナを巻き、その上に皮ケースをかぶせる構造に変更されている。このためスパイダーコイルが削除されている。内部の木製キャビは端面以外無塗装で、取り外すことを考慮していない。真空管は1X3に統一されている。また、ハンドルが削除されて皮ケースのストラップに変更されている。ほとんど消えているが正面には白い縁取りが施されている。また、失われているが、初期型と同じサイズの銘板が付けられていたと思われる跡がある。

(所蔵No.11A113)

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アメリカでは、1940年代に入って多くのポータブル受信機が発売された。BP-10のような小型の電池専用のものだけでなく、ロクタル管やGT管を使い、整流回路を備えた3ウェイ式の製品も多かった。次に示すようなトランクケース型の比較的大型のモデルがポピュラーな製品である。

Zenith model 6G505型 6球3ウェイポータブルスーパー Zenith Radio Corp.(U.S.A.) 1941年

  

TUBES: 1LN5 1LA6 1LN5 1LH4 3Q5G 117Z6G

ロクタル管とGT管を組み合わせて使っている、比較的大型のポータブルラジオ。AC/DC兼用の3ウェイである。付属のループアンテナは、皮バンド状のケーブルでシャーシと接続されていて、引き伸ばして吸盤でガラス窓などに取り付けて使うことができる。ゼニス社はこの取り外し可能なアンテナをWavemagnetと名付け、戦後まで長く使用した。中波専用のセットだが、銘板の表記から、航空機や小型船舶に持ち込んで使うことが想定されていたことがわかる。
(所蔵No.11930)

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アメリカでは太平洋戦争開戦後、軍需生産に資源を集中させるために、1943年から民需用のラジオセットの生産は禁止された。
日本でも1941年以降はラジオの形式が統制され、一般にポータブルラジオを販売することはできなくなった。


参考文献

(1)Eric P. Wenaas "Radiola -The Golden Age of RCA 1919-1929-" Eric P. Wenaas (Sonoran Pablishing, LLC,) Amazon.co.jp で購入する
(2)平本 厚 『戦前日本のエレクトロニクス -ラジオ産業のダイナミクス-』 (ミネルヴァ書房 2010年) Amazon.co.jp で購入する
(3)宮川邦昭 「真空管を中心としたラヂオ,三十年の略史」 『AWC会報』 1991 No.12 (アンティック・ワイヤレス・クラブ 1991年)
(4)『ラヂオの日本』 昭和10年7月号 (社団法人日本ラヂオ協会 1935年)

 

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