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小型ステレオの流行
1966-73
小型ステレオの普及
家具調
ナショナルテーブルステレオ SE-1350G 華 1966-67年 松下電器産業(株) 19,800円
ナショナルSF-3100型 宴ジュニアA 1967年頃 松下電器産業(株) 19,800円
プラスチック製卓上型
ビクター RE-6600型 ラジオ付卓上電蓄 1966年 日本ビクター(株) 6,460円
ナショナルSF-450型 パンドラA ステレオ電蓄 1967年 松下電器産業(株) 7,100円
ポータブル型
サンヨーDS-P3型 トランジスタポータブルステレオ 1966年 三洋電機(株) 24,900円
ビクターSPE-8200 IC 2スピードポータブルステレオ 1971-73年 日本ビクター(株) 6,460円
モジュラーステレオ
サンヨーDS-36X型 4チャンネルモジュラーステレオ 1972年 三洋電機(株) 39,800円
参考
<物価の目安>
1958年(昭和33年)頃
小学校教員の初任給8,400円
鉛筆1本10円、電球(60W)1個65円、もりそば1杯35円
1970年(昭和45年)頃
小学校教員の初任給31,900円
鉛筆1本15円、電球(60W)1個80円、もりそば1杯100円
対ドルレート 1ドル=360円
第3展示室HOME
1960年代後半になると、膨大な人口をかかえる「団塊の世代」が社会人となった。時代はちょうど高度経済成長の真っ只中。給与は右肩上がりで毎年上がり、1968年には銀行の初任給が3万円を超えていた。ビートルズやグループサウンズの流行など、若者向けの音楽が深夜放送などを通じて広まり、LPレコードの生産も急増した。このため、若者向けの膨大なステレオの需要が発生したのである。
1960年代前半までは、ステレオは、応接間や居間に置かれる立派な「家具」であった。アンサンブルステレオの大半は、扉を閉めればサイドボードのように見えるデザインであった。1967年頃まで、アンサンブルステレオを小型にしたような一体型の卓上型小型ステレオが発売されていた。これらはあくまでもアンサンブルステレオのミニサイズ版であり、デザインは木製の「豪華さ」が強調されているもので、若者向け商品というより、低所得者層向けのステレオセットといえる。一例を次に示す。
三菱 5H-662型 5球2バンドステレオタイプスーパー 三菱電機(株) 1963年 14,800円
TUBES: 12BE6-12BD6-12AX7-30A5-30A5 , Transformer-less, 16cm Permanent Dynamic (Diatone Model P-161)
1960年代前半、2スピーカのラジオが流行した。ほとんどはスピーカをパラにしただけのモノラルだったが、このセットはアンプ部のみがステレオとなっており、ステレオプレーヤーを接続すればステレオ再生ができる。AM2波によるステレオ放送が終了した年のため、チューナ部は1組だけのモノラルだが、デザイン的にAMと短波を並べてステレオ風にしている。自社製16cmパーマネント・ダイナミック(ダイヤトーンP-161)を2個駆動する。幅が70cmもあるキャビネットはピアノフィニッシュの天然木製で仕上げは非常に良い。この頃三菱電機は、ダイヤトーンスピーカを前面に押し出してステレオの販売に力を入れており、この製品もその一つといえる。高級なハイファイラジオの最後のものでもある。
(所蔵No.11696)
ナショナルテーブルステレオ SE-1350G 華 1966-67年 19,800円
ナショナルの卓上型ステレオセット。30MP27シングルのアンプで自社製12cmスピーカを駆動する。プレーヤはすでにSPのモードはなく、33/45RPMのみである。クリスタルPU,リムドライブモータという安価なプレーヤの定番のメカを採用。奥行きがないため30cmLPをかけるときは蓋が閉まらない。プレーヤの横のスペースにはEP盤を置くことができる。チューナ部はFM/AMだが、MPXはなく、FMもモノラルである。チューナがAMのみの下位機種(SE-1300 彩:あや 15,800円)もあった。このころから家電製品に日本調の名前をつけることが流行したが、松下ではこのような下位の機種にも風雅な名前が与えられていた。
(所蔵No.43012)
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ナショナルSF-3100型 宴ジュニアA 1967年頃 松下電器産業(株)
和風の落ち着いたデザインが特徴の中型アンサンブルステレオ、「宴(うたげ)」を小型の卓上型としたもの。宴ジュニアと名付けられた。プレーヤはすでにSPのモードはなく、33/45RPMのみである。クリスタルPU,リムドライブモータという安価なプレーヤの定番のメカを採用。奥行きがないため30cmLPをかけるときは蓋が閉まらない。チューナ部はAMのみだが、当時はFMが受信できない地域も多く、小型ステレオには廉価版としてAMのみのモデルが用意されていた。
(所蔵No.m43001) 旧ふくやまラヂオ博物館コレクション
これに対して、レコード再生の普及は、若者の個室や狭いアパートの卓上に置けるような小型のステレオセットを生み出した。成形技術が進歩し、大型のプラスチックキャビネットを作ることができるようになったため、プラスチックの質感を生かしたデザインの小型ステレオが現れた。これらの小型ステレオは1万円を切る価格で販売された。
ビクター RE-6600型 ラジオ付卓上電蓄 1966年 日本ビクター(株) 6,460円
TUBES: 12BE6 12BA6 12AV6 30A5 30A5, 1-Diode, BC:535-1605kc, 10cm P.D.SP. X2, AC100V 50Hz
ビクターの普及型卓上電蓄。AMラジオと3スピードプレーヤを備える。ラジオは当然モノラルである。安価なモデルだが、ふたの裏にはビクター伝統の電蓄と同じデカールが貼られている。モータは3スピードだが、ピックアップはターンオーバ型ではない。全体がアイボリーホワイトのモデルも用意されていた。すでにSPレコードの生産はなく、主に純邦楽の練習用に使われるくらいだった。ほとんどかけられることがないためか、LP用の針でSPも兼用としている。
本機は、ターンテーブルシートが失われている。
(所蔵No.43017)
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これらの中には、ラジオの聴取はトランジスタラジオに任せるということなのか、ラジオのないステレオ電蓄も現れた。
ナショナルSF-450型 パンドラA ステレオ電蓄 1967年 松下電器産業(株) 7,100円
50BM8を2本使ったレコード専用の小型電蓄。真空管式の末期の製品である。プラスチックの特性を生かした優れたデザインだが、強度が弱いのが欠点である。
(所蔵No.43006)
ラジオのトランジスタ化が進んだことで、小型のポータブルステレオが容易に実現できるようになった。次に紹介するのは、当時最小のステレオセットといえる。
サンヨーDS-P3型 13石トランジスタポータブルステレオ 1966年 三洋電機(株) 24,900円
FM-AMラジオを内蔵した小型のポータブルステレオ。ラジオとして使うときは左の写真のように立てて使う。ステレオ電蓄として使うときは、蓋のスピーカを左右に広げて使う。電源は単一乾電池6個である。普通のポータブルプレーヤよりかなり高い値付けがなされている。
(所蔵No.43015)
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1970年頃には児童向けソノシートなどまで、大半のレコードがステレオ録音になり、簡単なポータブル電蓄にもステレオ形が現れた。
ビクターSPE-8200 IC 2スピードポータブルステレオ電蓄 1971-73年 6,460円
簡単なポータブルステレオ電蓄。1970年に3スピードのトランジスタ式電蓄SPE-8200として発売されたが、SPを廃止してモータを2スピードとし、音声回路をIC化したSPE-8200ICにモデルチェンジされた。マイナーチェンジされても価格は同じである。AC100V専用。1974年以降、ラジカセの発売に伴い、ビクターは小型の普及型電蓄の生産から撤退する。
(所蔵No.43004)
モジュラーステレオ (1970-)
1960年代後半にはスピーカの性能が向上し、小型のフルレンジユニットでかなり質の良い再生ができるようになった。この頃から一体型だった小型ステレオは、16cm程度のフレンジまたは2ウェイの小型スピーカと、LPサイズのレコードプレーヤをチューナ付アンプの上に搭載した薄型の本体の3点セットからなる「モジュラーステレオ」が登場し、若者向け小型ステレオの主流となった。初期のものや、少し豪華なタイプには、レシーバ(チューナ付アンプ)とレコードプレーヤが独立しているものもある。この4点セットは、コンポーネントステレオの入門者用ともなった。
サンヨーDS-36X型 4チャンネルモジュラーステレオ 1972年 39,800円
サンヨーDS-36X型 4チャンネルモジュラーステレオ 1972年 \39,800
典型的なモジュラーステレオ。2スピードのプレーヤーとFM-AMチューナを備える。当時流行の4チャンネルである。アンプ部のキャビネットはプラスチック製である。リアスピーカは失われている。
(所蔵No.43009)
モジュラーステレオは、カセットデッキの追加などの改良を施されながら1980年代初めまで存在したが、LPレコード末期に開発された、より小型のミニコンポに取って代わられた。
70年代後半のモジュラーステレオの例(ビクター)
モジュラーステレオも70年代後半には、シスコンの流行に伴ってメタリックな質感のデザインになった。