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日本短波開局以後の短波ラジオ
-オールウェーブの普及-
Beginning of Comercial Short Wave Broadcasting
(1954-71)
短波の解禁からNSB開局まで
(1946-53)
シャープ AL-5型 2バンドオールウェーブスーパー 早川電機工業(株) 1951年頃
日本短波放送(NSB)の開局
(1954)
NSB広報用?ラジオ SS-102型 6球2バンドスーパー メーカ不明 1954年
Shuritsu SS-102型 6球2バンドスーパー 日本文化電設(株) 1956年 (NEW)
NEC PS-3A型 8球高一中二オールウェーブスーパー 新日本電気(株) 1954-56年 31,000円
短波付カーラジオ
クラリオン A-85型 5球短波付カーラジオ 1958年 帝国電波(株) 24,500円
短波コンバータの流行
アクティブ型コンバータ
旺文社 短波コンバータ 1955年 旺文社/内外興業(株)
OTA OP-1001 型 1956年頃 オータポータブル工業(株)
SHK 短波コンバータ 1955年頃 日本宗教放送協会 (加筆訂正)
パッシブ型コンバータ
NSBコイル 1955年頃 日本短波放送
スター SB-2型 NSBチューナ 1955年頃 (株)富士製作所
スターSB-3型 NSB短波ユニット 1955年頃 (株)富士製作所
NSBチューナー3型 (MODEL NSB-3) 1957年頃 日新電気(株)
クラウンSWチューナ 1956年頃 旭無線電気(株)
オール・ウェーブの普及
(1956-64)
ナショナル AX-530D型 2バンド「スネイル・オールウェーブ」 松下電器産業(株) 1956年 21,500円
サンヨー SF-20 「ナイター号」 2バンド5球スーパー 三洋電機(株) 1958年 5,950円
ナショナル T-40型 "ゴールデン・エイト" 2バンド8石スーパー 松下電器産業(株) 1960年 11,500円
NSB Receiver 8 NSB専用8石短波ラジオ (株)日本短波放送 1964年頃
コロムビア T-37型 "NSB Super 8" NSB専用8石短波ラジオ 日本コロムビア(株) 1967年頃
オール・ウェーブの衰退
(1965-73)
ナショナル・パナソニック R-201型 NSB-中波 7石日本短波用ラジオ 松下電器産業(株) 1970-71年 \8,300
BCLブーム及びその後の短波ラジオについては「BCLブームとその後の短波ラジオ」を参照
参考文献
短波の解禁からNSB開局まで(1946-53)
戦後、短波放送受信が解禁されると多くのメーカーから全波受信機:オールウェーブが発売された。しかし、実際には海外放送を楽しむ聴取者は少なく、高価な全波受信機は普及しなかった。終戦直後の全波受信機ブームが去ると、メーカーは普及型の中波スーパーの開発に力を入れるようにった。1951年、民放が開局するとストレートからスーパーへの置き換えが進み、生産されるセットはほとんどスーパーになる。しかし、1952年の受信施設調査によるとストレート式受信機が全体の68%、全波は全体のわずか4%にすぎなかった。生産台数では昭和20年代を通じて全波の割合は10%を越える事はなかった。
昭和20年代後半になると、高周波増幅が付き、大型スピーカーを備えた豪華な中波ラジオが発売されるようになった。これは民放がない地域の富裕層を対象にしたと思われ、価格も2万円台で全波受信機とほとんど変わらないが短波は付いていない。ただ、デザインは全波受信機を意識した物が見受けられるのがのが興味深い点である。オールウェーブは物品税の税率が高く、どうしても高価になるため、高級機や電蓄に限られた。昭和20年代後半はオール・ウェーブ不毛の時代と言える。
日本短波開局以前のオールウェーブの例
シャープ AL-5型 2バンドオールウェーブスーパー 早川電機工業(株) (1951年頃)
TUBES: 6WC5-6D6-6ZDH3A-6ZP1-12F
海外放送用の6-18Mcの短波バンドを持つオールウェーブ。民間放送開局直後の製品である。真空管は標準的な普及型5級スーパーのもので、普及型受信機と共通の部品を使った低価格のオールウェーブである。
(所蔵No.11700)
日本短波放送(NSB)の開局(1954)
低迷していた短波受信機の動向に大きな変化をもたらしたのは、1954年8月27日の日本短波放送(NSB、現在のラジオNIKKEI)の開局だった。NSBは宗教、市況、教育、教養という従来の民放とは違った内容を持った、民放初の全国向け放送局だった。ちょうど地上波テレビに対する衛星放送のような立場である。
周波数は当初はJOZ:3.925Mc,JOZ2:6.055Mcの2波で始まった。従来の海外放送用の2バンド受信機(6-18Mc)ではJOZが受信できないため短波の周波数帯は3.5-10Mcに変更された。しかし、1955年に時間帯による聴取状態の向上を図るためにJOZ3:9.595Mcが追加されたために1957年頃から短波の周波数帯は現在も使われている3.8(4)-12Mcになった。
受信機の生産状況はというと、NSBが開局した1954年は、NSB開局によるバンド変更を見越して買い控えられ、前年の1/3の22,000台にすぎず、翌'55年には増加したものの45,000台で、1951年の水準より低い数字だった。これは、受信機がまだ高価だったためで、このため、メーカー製の3.5-10Mcバンドのセットはきわめて少ない。当館にはごく初期の日本短波用オールウェーブを2台所蔵している。
NSB広報用?ラジオ SS-102型 6球2バンドスーパー (1954,メーカー不明)
TUBES: 6D6-6WC5-6D6-6ZDH3A-42-80-6E5
ダイヤルに"Nippon Short Wave"JOZ1","JOZ2", "Nippon Shukyo Hoso"の文字があるメーカー不明の1954年製スーパー。内容は高一マジックアイ付6球スーパーである。NSBの社内、もしくは広報用に使われたと思われる。珍しい3.5-10Mcのセットである。1955年に日本宗教放送協会という社団法人が設立され、現在も存続している。もちろん放送局ではないが、このセットに表示された日本宗教放送との関係は不明である。
(所蔵No.11427)
Shuritsu SS-102型 6球2バンドスーパー 日本文化電設(株) 1956年
TUBES: 6D6-6WC5-6D6-6ZDH3A-42-80-6E5
上のSS-102型と基本的に同じものだが、こちらは少し後の製品で、"Shuritu:衆立?”というブランドが付き、シャーシの銘板には日本文化電設と読めるメーカー名がある。
ダイヤルにはJOZ3の周波数が追加されているが、日本短波放送を示す文字は削除され、1955年に設立されたNIHON SHUKYO HOSO KYOKAIの文字と、その略称と思われるS.H.K.の文字が追加されている。
詳細は不明だが、日本宗教放送協会の広報用、または聴取者(信者?)に頒布したラジオと思われる。
本機のスピーカとツマミはオリジナルではない。
(所蔵No.11427)
NSB開局時に、NSB受信に適した高級受信機が推奨品としてNEC、松下、東芝から発売された。いずれも高一中ニでプリセット受信機能を備える豪華なもので、価格は3万円程度と高価であった。カタログ品として市販されていたが、当時のNSBのパンフレットによると、NSBの斡旋による販売が行われていたという。
NEC PS-3A型 8球高一中二オールウェーブスーパー 新日本電気(株) 1954-56年 31,000円
(左)銘板と、日本アルファ電気製のIFT (右)梱包箱
TUBES: 6BA6-6BE6-6BD6-6BD6-6AV6-6AR5-6X4-6E5
新日本電気が日本短波放送(NSB)受信用に開発した8球高一中二オールウェーブスーパー。NEC/PIONEER PS-654型6.5インチ・パーマネント・ダイナミックを駆動する。このセットの発表は1954年12月だが、このときすでに開局時のJOZ1,JOZ2に加えて高い周波数の新しい波(JOZ3:9.595Mc:1955年6月)が追加されることが決まっていた。そのため、短波の帯域は初期の3.5-10Mcではなく、3.9-12Mcとなっている。また、操作を容易にするために、本機にはNSB用のプリセットチャンネルが4つ設けられている。A,BはJOZ1,JOZ2に対応しC,Dは、周波数が決まっていなかったJOZ3のためのもので、200kcの幅を持った帯域となっている。水晶式ではないため、微調が取れるようになっている。Cチャンネルに相当するバンドは使われなかった。
当時日本電気から分離独立したばかりの新日本電気は、家庭用ラジオ受信機の生産から実質的に撤退していた。本機のIFTは、安立から分離された日本アルファ電気のものが使われている。ともに電電公社関係品目を生産する会社を母体とするもの同士で交流があったのだろうか。このセットは日本アルファ電気のOEMとも考えられる。
家庭用受信機の形をしていても内容は通信型受信機並みの本機は、3万円を超える高価なものだった。この機種の技術解説が掲載された日本電気の機関誌「NEC」No.24には、この機種の紹介記事の前に、日本短波放送に納入したSGP-138A型放送機の解説記事が掲載されている。この縁で広報用などに使うラジオが発注されたもののように思える。一応1956年まで市販されていたことがわかっている。
本機は、梱包材に入った状態で発見された。ほとんど使われた形跡はない。
(掲載誌:NEC No.24 1954.12)
(所蔵No.11724)
1950年代後半は国産乗用車が本格的に生産され始めた頃で、カーラジオがやっと商品となった時代である。生産量は少なく、中小メーカが多数存在していた。その一つが家庭用ラジオから転身した帝国電波(現クラリオン)である。同社は1958年にNSBに特化した短波バンドを持つ4バンドカーラジオを発売した。短波による放送が多い欧州などでは短波付のカーラジオは現在でも存在するが、日本国内用としては業務無線機などを除き、販売されていない。
クラリオン A-85型 5球短波付カーラジオ 1958年 帝国電波(株) 24,500円
本体内部(左)と、アンプ/電源部内部(右)
TUBES: 12BD6 12BE6 12BD6 12AV6 6AR5
DC6V, BC: 535-1605kc, SW: 3.925/6.055/9.595Mc
NSBに対応した珍しいカーラジオである。中央のボタンはバンドスイッチで、プリセットボタンではない。中波のほか、NSB1-3に対応した1Mcほどの狭い短波帯を3つ備えている。NSBを受信するときは、ダイヤル指針を中央に置くと、押しボタンでNSB1-3を切り替えることができる。プリセット受信が可能な上位機種A-88型(29,500円)が存在した。また、実機は6V用だが、真空管とヒータ回路が変更された12V 仕様も存在した。価格は短波のない他社製品と特に変わることがない。
NSBを重視した製品であることは間違いないが、パネルに「NSB」または「JOZ」の表記はない。文献(1)に広告が掲載されているが、「短波付」とあるだけで特別な説明はない。この製品を発売した意図は明確ではないが、当時の状況から想像してみる。
1956年からNSBは、連日ナイター中継を放送するようになった。この頃、中波民放局では現在ほどナイター中継が行われていなかった。これは、まだテレビが普及していなかった時代、ゴールデンタイムを野球だけで占領するわけにいかず、通常の人気番組を放送する必要があったためという。NSBのナイター中継は、全国放送という短波放送の特徴を生かした番組で、野球ファンに人気があった。当時、乗用車の大半はタクシーとして使われ、乗用車の仕様や機能に対してタクシー業界の意見は大きな影響力を持っていた。タクシーの車内で野球中継を聞くためというのが、このセットの目的ではないだろうか。
その後、全国に民放ラジオが開局し、テレビの普及後はラジオの編成方針が変わり、ナイター全中継が中波ラジオの主力番組となってからは、NSBの野球放送の独自性はなくなり、このようなラジオは必要なくなった。
(所蔵No.11975)
高価なオール・ウェーブに代わって短波の普及を担ったのが短波コンバータだった。短波コンバータは終戦直後にも発売された(東京通信工業(現ソニー)のラジオ1号機もコンバータだった)が、これは普及する事はなかった。NSB開局後の短波コンバータには単球、または2球のものと、簡単なパッシブ型があった。短波コンバータは各社から発売されたが、日本短波放送の推奨を受けた物が「NSBチューナー」を名乗った。
アクティブ型コンバータ
真空管式のコンバータはアンテナ端子に出力を接続して使用する。
NSBのパンフレットでは信和通信工業、内外興業の2社の製品を推奨している。
開局当時のNSBのパンフレットと、そこに紹介されている短波コンバーター
ここに紹介するのは内外興業製のアクティブ型コンバータである。
旺文社 短波コンバータ 1955年 内外興業(株)
NSBが推奨していた内外興業製のコンバータである。ダイヤルでの同調と、プリセットされたNSBへのスポット選局の両方が使えるようになっている。開局後すぐに追加された9MHz台のJOZ3の周波数が決定していなかった時期の製品らしく、パネルの表示が空欄になっている。パネル中央に旺文社のマークが表示されているのが特徴的だが、旺文社は、文化放送に続いて全国放送できるという短波放送の特徴を生かして、同社の理念である大学受験教育の地域格差解消を実現すべく、日本短波放送でも開局時から「大学受験ラジオ講座」を提供した。
この機種は、高価なオールウェーブ受信機に代わって中波受信機に付加する形で短波を受信できる簡便な受信機として受験生向けに頒布したものと思われる。しかし、当時3-4千円というコンバータの価格は、大卒初任給が7千円くらいの時代にあっては安いものではなく、持ち運び可能なトランジスターラジオはまだ存在していなかった。また、この番組が放送されていた夜間に学生が聞くには、個室と専用のラジオが必要だっただろう。短波放送による旺文社の受験講座は、確かに情報が限られる地方の受験生には有益だっただろうが、この番組を利用して勉強するにはそれなりの経済力は必要であった。
(所蔵No.10087)
OTA OP-1001 型 1956年頃 オータポータブル工業(株)
アクティブ型の短波コンバータ。見てわかるように旺文社のコンバータと基本的に同じものである。ただし、NSB用のクリスタルを使った固定受信機能はなく、通常のダイヤルにNSBのポイントが点で示されているだけである。表示されているメーカはポータブル専門メーカのオータポータブルだが、旺文社コンバータの内外興業と、どちらが生産していたものかはわからない。
(所蔵No.10090)
次に紹介するのは無名メーカの単球式短波コンバータである。
SHK 短波コンバータ 1955年頃 日本宗教放送協会
TUBES: 6BE6
3.5-12Mcの短波帯を中間周波数1600kcに変換するコンバータである。電源は親受信機から取るようになっている。同型のコンバータには他社ブランドのものも確認されている。
ツマミはオリジナルではない。
(所蔵No.10064)
パッシブ型コンバータ
パッシブ型は同調、発振バリコンに短波用コイルを並列に接続して使用する物で、安価なため良く使われた。NSBチューナを名乗る推奨品は接続方法や線の色が統一されている。後述するオールウェーブの低価格化によりこのようなコンバータは使われなくなった。当館の所蔵品からパッシブ型コンバータを紹介する。
NSBコイル 1955年頃 日本短波放送 \40
もっとも簡単で最も安価な短波コンバータである。スパイダーコイルをスーパー受信機の同調側バリコンとアンテナ、アース端子に接続するだけである。接続した状態で中波の1280kc付近でJOZ(3.925Mc)が、1400kc付近でJOZ2(6.055Mc)を受信することができる。短波受信が禁止されていた戦前に、中波受信機を使ってこっそりと短波を聴くときによく使われた方法そのものである。このコイルは日本短波放送が企画し、価格40円(切手代用可、送料込)で頒布された。
(所蔵No.10068)
スター SB-2型 NSBチューナ 1955年頃 (株)富士製作所
パッシブ型NSBチューナの代表的なもの。コイルの大手メーカ、富士製作所の製品。バリコンへはクリップで接続するようになっている。
(所蔵No.10021)
スターSB-3型 NSB短波ユニット 1955年頃 (株)富士製作所
外からクリップで取り付けるだけのユニットの不安定さを嫌うユーザのためのもう少し本格的な改造用キット。バンドスイッチと短波用コイルが一体となったユニットをシャーシに追加するものである。既存のツマミの隙間に取り付けることを想定したためか、ツマミが非常に小さく作られている。
NSBチューナー3型 (MODEL NSB-3) 1957年頃 日新電気(株)
通常のNSBチューナは中波と短波の2つをボタンで切り替えるが、この製品は中波、中短波(1.7-5.2Mc)、短波(5-12.6Mc)の3バンドを選べるようになっている高級型である。
TOP
クラウンSWチューナ 1956年頃 旭無線電気(株)
後に輸出用トランジスタラジオで知られるようになるクラウンの短波コンバータ。幅5cm程度と、非常に小さく作られている。NSBの指定を受けていないためにNSBチューナとは名乗っていない。
(所蔵No.10014)
NSBチューナの使用例
中波5球スーパー内部にパッシブ型NSBチューナを取り付けた例
テレビアン国民型2号をスーパーに改造し、スターSB-2型NSBチューナをつけたもの。再生式受信機がオールウェーブスーパーにまで「出世」した珍しい例である。
(所蔵No.11224)
オール・ウェーブの普及(1956-64)
1955年8月16日から短波帯12Mcまでの5球以下のオール・ウェーブの物品税率が20%から5%に引き下げられた。同年に松下電器からMT管を使用し、11,800円と安価なオール・ウェーブ(AL-520型)が発売された。
日本短波開局後のオールウェーブ受信機の例
ナショナル AX-530D型 2バンド「スネイル・オールウェーブ」 松下電器産業(株) 1956年 21,500円
TUBES: 6WC5-6D6-6ZDH3A-42-80BK-6E5, 8" Permanent Dynamic Speaker (National 8P-32)
松下の日本短波対応オールウェーブの初期のもの。このセットは1955年に海外放送用の6-18Mcのバンドを持つAX-530型として発売された。AX-530Dは、バンドを日本短波対応の4-12Mcに変更し、ダイヤル部分のみを手直ししたもの。内部の表示はゴム印で訂正されている。すでに寿命が尽きかけていたST管のセットを応急的に間に合わせたもの。1955年に高級機を中心に5機種あった同社のオールウェーブは、1956年には普及型のAL-520と、このAX-530Dの2機種だけになった。mT管を使用した新型のオールウェーブが揃うまでの過渡期の製品といえる。
(所蔵No.11226)
サンヨー SF-20 「ナイター号」 2バンド5球スーパー 1958年 三洋電機(株) 5,950円
TUBES: 12BE6 - 12BD6 - 12AV6 - 30A5 - 35W4
5,950円と低価格のMT管トランスレス5球スーパー、三洋は1954年に6,300円の中波5球スーパー「SS-56」を発売して業界に衝撃を与えたが、このセットも従来の低価格オール・ウェーブの半額近い「価格破壊」商品だった。
(所蔵No.11258)
その後MT管トランスレス・セットの普及と共にラジオの価格が下がり、オール・ウェーブの全体に占める割合が増加していった。1957年6月以降は中波とオール・ウェーブの生産台数が逆転し、1959年には家庭用真空管式受信機の90%以上がオール・ウェーブとなった。
トランジスタラジオのオール・ウェーブは1957年の東芝7TL-204Sの発売によって本格化したが、技術的な問題からか、真空管式が3.8-12Mcのバンドになってからも3.5-10Mcの狭いバンドの物や4-12Mcのバンドを二つに分けた物も見られた。1960年代にはいると6石以下のトランジスタラジオを除いて電蓄やFMラジオも含めてほとんどのラジオが短波付きとなり、すでにオール・ウェーブは特別な贅沢品ではなくなった。
ナショナルT-40型 "ゴールデン・エイト” 2バンド8石スーパー 1960年 松下電器産業(株) 11,500円
ナショナルの標準的な2バンドトランジスタラジオ。技術的な問題から短波帯は3.9-10Mcと、標準より狭い。価格は5球スーパーが7,000円程度であったのに対し高価である。この都市のナショナル製品カタログによると、安価な6石のモデルを除き、トランジスタラジオの大半が短波付きとなっている。この頃になると、輸出の伸びもあってトランジスタラジオが真空管ラジオの生産を上回るようになる。
(所蔵No.12007)
1964年頃には、NSB専用のトランジスタラジオが発売された。
NSB Receiver 8 NSB専用8石短波ラジオ (株)日本短波放送 1964年頃
8-Trs, DC4.5V (JIS UM-3 X3), 1プロ:3.925(JOZ)/6.055(JOZ2)/9.595Mc(JOZ3)、2プロ:3.945(JOZ4札幌/JOZ5)/7.230Mc(JOZ6)
日本短波放送専用に作られた短波のみの小型ラジオ。メーカは不明である。NSBクリスタを内蔵し、同調を容易にしている。1963年に開始された第二放送の周波数が設定され、1968年に追加されたJOZ7(9.760Mc)がないことから、この間の製品と考えられる。ダイヤルは一応標準的な短波のバンドのようだが、目盛りはNSBの電波の周辺しか表示されていない。
NSBクリスタを内蔵し、NSBの受信に特化したラジオは各社から発売されたが、多くは中波や標準バンドの短波帯の他にNSB専用受信ポジションを備えるものだった。この機種のように短波しか受信できないモデルは珍しい。下のコロムビアT-37型とデザインや機能が似ているため、NSB側で標準仕様が作られたものではないかと思われる。ロッドアンテナは皮ケースに内蔵され、使用するときにねじ込むタイプである。
(所蔵No.12135)
コロムビア T-37型"NSB Super 8" 8石NSB専用スーパー 日本コロムビア(株) 1967年頃
8-Trs. DC6V (UM-3 X4),
NSB1(1プロ): 1プロ:3.925(JOZ)/6.055(JOZ2)/9.595Mc(JOZ3)、2プロ:3.945(JOZ4札幌/JOZ5)/7.230Mc(JOZ6)/9.760Mc(JOZ7)
日本短波放送(NSB)専用に作られた短波のみの小型ラジオ。NSBクリスタを内蔵し、同調を容易にしている。1968年に追加されたJOZ7(9.760Mc)が含まれていることから、この前後の製品と考えられる。ダイヤルは一応標準的な短波のバンドのようだが、目盛りはNSBの電波の周辺しか表示されていない。
NSBクリスタを内蔵し、NSBの受信に特化したラジオは各社から発売されたが、多くは中波や標準バンドの短波帯の他にNSB専用受信ポジションを備えるものだった。この機種のように短波しか受信できないモデルは珍しい。メーカ不明の専用ラジオとデザインや機能が似ているため、NSB側で標準仕様が作られたものではないかと思われる。日本コロムビアは、トランジスタラジオに初めてNSBクリスタを搭載し、オーディオメーカでありながらNSB受信に力を入れていた。NSBと何らかの関係があったものと思われる。
(所蔵No.12169)
オール・ウェーブの衰退(1965-73)
昭和40年代に入り、据置き型の5球スーパーは過去の物となり、ラジオといえばポータブルのトランジスタラジオか、カーラジオが当たり前になった。1960年のFM東海の開局で始まったFM放送は音楽ファンの支持を集め、60年代末には1957年から実験放送を実施していたNHK-FMが正式に開局し、主要都市の民放FM局も開局した。この様な状況のもとで5球スーパーの最後のモデルが送り出された1964年頃からFM-AMという構成のセットが増えていった。
1968年のSONYのカタログを見ると、ラジオ23種類の内FM付き3バンド以上の物が5種類、AM専用とFM-AMラジオが15種類である。短波付きのモデルも広告はFMが前面に押し出されていて、FMのない短波受信機は高級機のTR-1000の他、標準型の6R-12、登山用という説明のある5R-93の3種類だけで、扱いも小さくなっている。ただし、現在もあるNSB専用受信機が多くのメーカから発売されたのもこの頃である。
ナショナル・パナソニック R-201型 NSB-中波 7石日本短波用ラジオ 松下電器産業(株) 1970-71 8,300円
7-Trs. DC4.5V (JIS UM-3D X3)、BC: 525-1605kHz, NSB1: 3.925, 6.055, 9.595MHz, NSB2: 3.945, 7.230, 9.760MHz
中波のほかに、クリスタルによるNSBに特化した短波バンドを備えるセット。1968年に追加されたJOZ7(9.760MHz)を含む6つの波長にロックすることができる。中波のダイヤル目盛りは小さく、あくまでもNSBがメインであることがわかる。外観に細かいバリエーションがあり、このナショナルのマークが赤いモデルは後期の製品である。カタログには、「競馬、株式、受験に・・・・・」とある。1974年にはJOZ6が7.230MHzから6.115MHzに変更されたため、発売後数年で使えないポジションができてしまった。
(所蔵No.12104)
FM放送というニューメディアの台頭により、短波受信機の種類が少なくなった。NSBは家庭用のほとんどのラジオに短波が付いていて気軽に聞けた放送から、専用受信機を用意して聞くマイナーな存在になってしまった。日本短波放送はラジオたんぱ、ラジオ日経と名前を変えて現在も株式市況などの専門局として存続しているが、ネットの台頭で存在感は低くなっている。
BCLブーム及びその後の短波ラジオについては「BCLブームとその後の短波ラジオ」を参照
1)『自動車ガイドブック』 1958年版 Vol.5 (社)自動車工業振興会 p.208広告