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1938-45
CONTENTS
解説:高級受信機の流行
はじめに
高級受信機生産の増加
高二:日本独自の高級受信機
大戦末期の高級受信機
高級受信機展示室
参考文献
戦前の標準的な受信機は、いわゆる並四と呼ばれる再生検波低周波2段の4球受信機か、三ペンと呼ばれる5極管(4極管)検波、5極管1段増幅の3球受信機で、多少高級なものでも高周波1段付の4球受信機であった。放送協会は放送網の充実と大電力化により、低感度の受信機で受信可能にするという方針だったためにスーパーや高周波2段などの高感度な受信機は認定の対象にもならず、推奨されることはなかった。民間放送がなく、多くても第1第2の2波しかない状況では分離の良さも必要とはされなかった。このため、欧米と異なり、スーパー受信機の低コスト化が図られることはなかった。
1931(昭和6)年には満州事変が始まり、1945(昭和20)年までの約15年間、日本は戦時下であった。このような時代にあっても高級受信機は存在した。いや、逆にスーパー受信機のような高級受信機は1938(昭和13)年以降絶対数は少ないながら急激に生産を増やしていくのである。また、戦局への関心からラジオの聴取者数も1940(昭和15)年に向かって急増したのである。
太平洋戦争開戦までは日本本土には戦争の悪影響は少なく、物資の節約は叫ばれながらそれほど苦しい時代ではなかった。軍需生産の激増により国内では「戦争景気」といえる状況であった。 そして、富裕層の需要をまかなっていた外国製のラジオ、電蓄は1937年11月、輸出入品臨時措置法により輸入が禁止された。このような背景から国産の高級受信機の生産が急増し、ピークの1938(昭和13)年にはスーパー受信機72,330台、電蓄7,347台が生産された。(通産大臣官房調査統計部資料による)。この生産量は、この年の全生産量の13%に達していた。
海外の高級受信機はスーパーヘテロダイン方式が普通であったが、日本では高周波2段5球受信機が多く生産された。58-58-57-2A5-80の構成が多く、高周波1段受信機にもう1段高周波増幅を付加し、余裕のある低周波段でダイナミックスピーカを鳴らすものである。低周波部や電源はスーパー受信機と変わるところはなく、3連バリコンを使い5球である点を見てもコストダウンにはそれほどならない。現に戦時中の公定価格表を見ても高2受信機は小型ダイナミックを使う5球スーパーよりも高価である。
このような高二受信機がたくさん作られたのは、ひとえに当時の日本の技術水準の低さによると考えられえる。スーパー受信機は局部発振器が止まればまったく受信できなくなる。スーパーを正しく動作させるには安定で精度の高い部品と測定器を使った調整が欠かせない。しかし、当時の小規模なメーカーは十分な測定器を備えていなかった。ましてや販売や修理を担うラジオ商に測定器を使った修理、調整を期待することなどできなかった。このことは高感度な高級受信機の需要が高い、地方でより顕著であった。高2受信機であれば高一受信機の延長線で扱うことができ、多少トラッキングがずれていても音が出ないという事はない。放送局は日本放送協会のみで多くても第1、第2放送のみであったから選択度は多少低くても良かった。このような事情が世界的に見れば特異な高二受信機を普及させたのである。
第2次大戦が始まった1941(昭和16)年以降も高級受信機の生産は続くものの、需要は富裕層から官公庁の公用に移っていった。大戦末期には通信事情の悪化から官公庁の地方への連絡がラジオ放送で行われるようになり、地方にスーパーなどの高級受信機が必要になった。物価統制令により、スーパー受信機は認定品であることが配給の条件となったため、従来は対象でなかった放送協会認定が高級なスーパー受信機に与えられることになった。
この時期のスーパー受信機は、最高級の高周波増幅付6球スーパーと、比較的安価な5球スーパーがある。6球スーパーは8インチ程度のダイナミックを使い、大型でデザインも豪華であるのに対し、5球スーパーは6.5インチ程度の小型ダイナミックを使い、デザインも中級受信機と変わらない地味なキャビネットに収められた。この他に、電力事情が悪化したことから非常用電池式スーパーも作られた。
戦後しばらくたってから、戦前には特殊用途や富裕層向けであったスーパー受信機が一般に普及したのである。
ここでは、「高二以上またはスーパー方式の受信機で、ダイナミックスピーカを備えるもの」を高級受信機と定義する。
当館の所蔵品からこの時代の高級受信機を紹介します。
ナナオラ(Nanaola)製品 七欧無線電気(株)
ナナオラ N-250号 7球スーパー 1940-41年頃
ナショナル(National)製品 松下無線(株)
ナショナル 6S-10型(初期型) 6球スーパー 1939年 165.00円
ナショナル 6S-10型(後期型) 6球スーパー 1942年
ナショナル 6A-1型 6球スーパー 1940年 200.00円
ナショナル R-5SA型 恤兵品 慰問用5球スーパー 1942年頃
ナショナル R-6S型 6球スーパー 1942年頃 (NEW)
シャープ(Sharp)製品 早川金属工業(株)
シャープ SD-5型 5球スーパー 1938年頃
ビクター(Victor) 製品 日本ビクター蓄音機(株)
ビクター R-122(JR-122)型 6球スーパー 1937年 97.50 円(認定受信機のファイルへリンク)
ビクター R-106型 5球スーパー 改造可搬式受信機 1939年 120.00円
ビクター 6R-70型 6球スーパー 1939年 185.00円 (認定受信機のファイルへリンク)
ビクター 5R-70型 5球スーパー 1939年 155.00円 (認定受信機のファイルへリンク)
ビクター 6R-75型 6球スーパー 1940-42年 207.00円 (認定受信機のファイルへリンク)
ビクター 6R-80型 6球スーパー 1942-44年 公171.80 (認定受信機のファイルへリンク)
コロムビア(Columbia)製品 (株)日本蓄音機商会
コロムビア CR-130-B型 6球スーパー 1941年 207.00円
その他
コンサートン 型番不明 7球スーパー タイガー電機(株) 1941年頃
ウェーヴ(Wave) 愛国号 5球スーパー 石川無線電機(株) 1941年 公84.20円
Mikasa SD-7型 7球スーパー 小川無線工業(株) 1942年
ヘルメス KS-6型 6球スーパー 大阪無線(株) 1943年 公171.80円 (認定受信機のファイルへリンク)
高周波2段受信機
ナショナル(National)製品 松下無線(株)
ナショナル 国民6号型 5球受信機 1940年頃
ビクター(Victor) 製品 日本ビクター蓄音機(株)
ビクター R-101型 5球受信機 1937-39年 65.00円 (認定受信機のファイルへリンク)
ビクター R-103型 5球受信機 1938年 100.00円
ビクター 5R-20型 タイムスイッチ付5球受信機 1938年
ビクター 5R-10型 5球受信機 1938-40年 87.00円 (認定受信機のファイルへリンク)
ビクター 5R-15型 5球受信機 1940年 125.00円
ビクター 5R-25型 5球受信機 1941-43年 112.43円('42.8の公定価格)
ビクター 5A-10型 オートトランス式5球受信機 1941-42年 90.60円(公定価格)
コロムビア(Columbia) 製品 (株)日本蓄音機商会
コロムビア CR-100型 5球受信機 1940年頃
コロムビア CR-102型 5球受信機 1941年
精華(Seikwa)製品 八欧無線電機製作所/興亜無線電機製作所
精華ラヂオ高周波二段式 5球受信機 1942年頃
電池式受信機
ビクター(Victor) 製品 日本ビクター蓄音機(株)
ビクター 6D-60型 電池式6球スーパー 1940年
外国製受信機
Ecko Model A.D.75. 4球スーパー E.K.Cole Ltd., (U.K.) 1940年
RCA Victor Q-33型 8球5バンドオールウェーブスーパー RCA Manufacturing Co. U.S.A. 1940年
Motorola Model 52T1 プッシュボタン式2バンド5球スーパー Galvin Mfg. Co. ; Chicago, U.S.A. 1940年
Motorola Model 61T22 プッシュボタン式2バンド5球スーパー Galvin Mfg. Co. ; Chicago, U.S.A. 1942年
スーパー受信機
ナナオラ N-250号 7球スーパー受信機 七欧無線電気 1940-41年頃
TUBES: 58-58-56-58-2A6-2A5-80 フィールド型ダイナミック(フラワーボックスD-82)
ナナオラの最高級受信機。大型の縦型キャビネットに収められた高級機である。1934年に発売された97型をモデルチェンジしたもの。シャーシは基本的に変わっていない。IFは175kcである。1941年以降シャーシの塗色がシルバーとなっているくらいである。この時代、各社がスーパー受信機をカタログにラインナップしているが、生産台数は非常に少ない。アメリカでは同時期にはトランスレスの5球スーパーが家庭用受信機の主流になっていたが、同じような性能の受信機を日本で作るとこのような大きなものになってしまう。日米の技術力、生産能力の差を感じさせるセットである。
本機はほぼオリジナルの状態が保たれている。
(所蔵No.11378)
ナショナル6S-10型(初期型) 6球スーパー受信機 松下無線(株) 1939年 165.00円
TUBES: 58-2A7-58-2A6-2A5-80 6.5"フィールド型ダイナミック(ナショナルD-65)
松下の最高級ラジオである。ダイヤルには朝鮮、台湾などのコールサインも表示されている。外地での販売も考慮されていたと思われる。音質改善のためNFBがかけられている。I.F.は175kcである。初期の製品は、出力管と整流管に遮熱板が付けられていたが、途中から省略された。
本機のシャーシはほぼオリジナルのままだが、検波管が2A6から3ZDH3Aに、整流管が80から80Kに交換されている。修理にはナショナルの真空管が使用され、昭和30年頃まで使われた形跡がある。なお、キャビネット後端下側の桟およびゴム脚が失われている。
(所蔵No.11841)
ナショナル 6S-10型(後期型) 6球スーパー受信機 松下無線(株) 1942年
ツマミ周囲の張り紙は後から貼られたもの
IFTのクローズアップ(片方カバーを外したところ) 完全にオリジナルの状態のシャーシ裏側
TUBES: 58-2A7-58-2A6-2A5-80 6.5"フィールド型ダイナミック(ナショナルD-65)
松下の最高級ラジオである。高一付の6球スーパーだが、中間周波数175kcの古いタイプの回路である。シャーシやキャビネットの基本構造は初期型と変わらないが、デザインがよりシンプルな形になった。太平洋戦争開戦後に製造されたセットで、主に公用受信機として使われたと思われる。
本機はツマミが2個失われている他、キャビネットの保存状態も良くない。キャビネット下部の白い板は当館で補修したもの。オリジナルはラワン材である。しかし、驚くべきことにシャーシには、真空管を除いて修理の形跡がまったくなく、完全なオリジナルを保っている。キャビネット内部には17.4の日付がある捺印が残されている。製造時期だとするとすでに6A-1型が発売された後ということになる。キャビネットを交換したか、シャーシが入れ替えられている可能性がある。
(所蔵No.11329)
ナショナル 6A-1型 6球スーパー 1940年 200.00円
TUBES: 58-2A7-58-2A6-2A5-80 6.5"フィールド型ダイナミック(ナショナルD-65)
6S-10の後期型と全く同じキャビネットとシャーシを使ったモデルだが、型番とダイヤルのデザインが異なっている。この6球式については、内部はほとんど旧型と変わらないが、同時に発売された5球式の5A-1型は、ダストコアとリッツ線を使用した角型IFTを採用するなど、設計が近代化されている(4)。
松下の型番は、先頭の数字が真空管の本数、次のアルファベットが形式、ハイフン以降の文字は連番で振られる数字である。Sはスーパーを示し、Dはダイナミックを使ったTRF、Mはマグネチックを使ったTRFを示す。ここで疑問がわいてくる。松下は戦後もしばらくは同じような型番の付け方を行っているが、Aは全波受信機(All Wave)に与えられている。なぜ中波スーパーにオールウェーブのような型番が与えられたのか。
松下は終戦直後、全波受信機7A-1型および8A-1型の試作品を「無線と実験」昭和21年3-4月号に発表している。しかしこのセットは明らかに戦前のデザインであり、6S-10などと共通の部品も使われている。戦時中に電気通信協会が主導した輸出用全波受信機として開発されたものを手直ししたものと思われる。ただし、この時発表された試作全波受信機と6A-1型とはキャビネットやシャーシの構造が異なり、全く関係なさそうである。
ここで大胆に推理してみる。6A-1型も、開発当初は全波受信機ではなかったのか。しかし、戦況の悪化で満州や南方に輸出することはできなくなった。そこで型番とキャビネットだけを使って6S-10のシャーシのダイヤルのデザインだけ直したものを組み込んで6S-10の新型として発売したというストーリーはどうだろうか。残念ながら現段階では全く証拠はない。新たな資料や現物が発見されるのを待つのみである。
本機はツマミと裏蓋、真空管が失われている。
(所蔵No.11A161)
ナショナル R-6S型 6球スーパー 1942年頃
TUBES: 58-2A7-58-2A6-2A5-80 6.5"フィールド型ダイナミック(ナショナルD-65)
松下の最高級ラジオである。シャーシは6A-1型とほぼ同じだが、出力管と整流管の間隔をつめてスピーカ用のソケットがシャーシ上に移動している。元のスピーカのソケットは側面に穴が残っている。少しでも内部の配線を短くして資材を節約しようとしたのかもしれない。キャビネットは直線的なデザインに変更され、プレスが不要な構造になった。
本機は側面に持ち手が付けられていて設置場所を移動して使えるようになっている。
また、パワートランスが戦後のS.E.L.製に交換され、6.3Vの真空管に改造されている。ダイヤルには放送局の位置を示す書き込みがあり、昭和30年代まで使用されたと思われる。
(所蔵No.11A224)
ナショナル R-5SA型 恤兵品 慰問用5球スーパー 松下無線(株) 1942年頃
TUBES: 2A7 58 2A6 2A5 80, BC: 550-1500kc, AC100-220V,
パネルに大きく書かれた文字は「じゅっぺいひん」と読み、国民の献金により用意された慰問品であることを示す。同じ文字は銘板にも記載されている。銘板の横には取扱い部署である「恤兵部」の刻印がある。陸軍の場合、陸軍恤兵部が国民の献金を取りまとめ、前線の部隊の慰問用物資の購入や、慰問団の経費にあてた。ラジオについていえば「恤兵品配給基準」によると前線の大隊当たり1台程度配布するのが標準という。(3)パネルに大きく表示しているのは、前線で見る兵隊に、国民の寄付によるものと伝えるためなのか、横流し等を防ぐためのものかはわからない。
このセットはナショナルの中波スーパー受信機5A-1型を、外地で使用できるようにAC100-220Vのマルチ電源としたもので、6本のヒューズで切り替える。ヒューズホルダを増設したためにピックアップ端子とレコードプレーヤ用のコンセントは省略されている。IFTは5A-1から採用されたダストコアとリッツ線を使用した、戦後のものに近い角形のケースに入ったものである。IFは455kc前後であろう。5A-1の初期型では2段目のIFTも通常のトランス型だが、このモデルでは単巻となっている(4)。
キャビネットのデザインは「恤兵品」の文字を除けば国内用の5A-1型と同じである。戦時下の製品らしく、キャビネットの造りは簡素である。試験票の形式名は「R-5SA」だが、回路図左下の表記は「R-5A」となっている。このマルチ電源化した5球スーパーが、ナショナルR-5A型として恤兵品以外にも大陸向けに輸出された可能性はある。
このセットは米軍の兵士の手で戦利品としてアメリカに持ち帰られたものが近年里帰りしたものである。真空管、スピーカ、ツマミがアメリカ製に交換されている。
(所蔵No.11A043)
シャープ SD-5型 5球スーパー 早川金属工業(株) 1938年頃
TUBES: 2A7 58 57 47B 12F (6WC5 6D6 6Z-DH3A 6Z-P1 12F), 6.5" Electro-dynamic
Speaker (Sharp Model 680)
日本のスーパー受信機としては小型の普及型の5球スーパー。当時の流行を取り入れたデザインだが、ダイヤルなどは米エマーソン社のコピーである。
本機は、戦後トランス、IFT、コイルを交換し、6.3Vの5球スーパーに大改造されている。
ツマミが失われていたため、同型のレプリカを取り付けた。
(所蔵No.11A071)
ビクター R-106型 5球スーパー 改造可搬式受信機 日本ビクター蓄音機(株) 1939年 120.00円
ビクターのスーパー受信機。58-2A7-57-2A5-80の配列で、高周波1段増幅で中間周波増幅を持たない回路である。IFは175kcである。エレクトリック・マジック・ボイスと称する負帰還をかけて音質を改善している。ビクター特有の深いシャーシと非常に頑丈な作りが特徴である。 本機は左右側面に家具用と思われる「取っ手」が付けられ、通常は家庭の玄関先などに付けられる聴取章がセットの裏蓋に付けられている。このセットは、山間部での巡回運用などのために携帯用として登録されていたものと思われる。
本機はツマミが2個失われているほかスピーカがオリジナルではない。
シャーシはほぼ原形をとどめている。
(所蔵No.11499)
コロムビア CR-130-B型 6球スーパー (株)日本蓄音機商会 1941年 207.00円
コロムビアの最高級受信機。58-2A7-58-2A6-2A5-80 の高周波1段付6球スーパー。1940年発売のCR130型をマイナーチェンジしたもの。キャビネットのデザインが異なる。英国系の会社らしく、当時英国で流行していたデザインを取り入れている。シャーシはビクターのOEMだが、コロムビアの9インチフィールド型ダイナミックスピーカを搭載している。スピーカが大型のためか支持方法に特徴がある。
(所蔵No.11476)
コンサートン 型番不明 7球スーパー タイガー電機(株) 1941年頃
TUBES: 6C6 6WC5 6D6 76 6C6 6Z-P1 80、8"フィールド型ダイナミック
関西の中堅メーカ、コンサートンのスーパー受信機。6.3V球を使用しているが、オリジナルかどうかは不明である。コンバータは6A7/2A7、出力管は42/2A5であったと思われる。IFの周波数は465kcである。1950年代に改造、修理が行われている。また、ラベル、銘板などがまったくないので型番等が不明である。
(所蔵No.11897)
ウェーヴ(Wave) 愛国号 5球スーパー 石川無線電機(株) 1941年 公84.20
聯合電機卸商報1941年3月号より
TUBES: 2A7-58-57-47B-12F, 6.5"フィールド型ダイナミック
6.5"フィールド型ダイナミックを駆動する小型5球スーパー。公定価格で規定された規格品である。普及型の5球スーパーとされ、2A5を出力管に使う高二受信機より安い公定価格が設定されていた。このセットの横幅は局型123号とほぼ同じで、簡素なつくりになっている。
本機は、つまみが1個失われている以外はほぼオリジナルが保たれているが、電源トランスが焼損している。
(所蔵No.11725)
Mikasa SD-7型 7球スーパー 小川無線工業(株) 1942年
TUBES: 58-58-56-58-2A6-2A5-80
1937年創業の新興メーカー、小川無線工業の7球スーパー受信機。太平洋戦争が激化した頃のセットだけに粗悪な部品やつくりの悪さが目立つ。
本機はスピーカーのグリルの一部とスピーカーが失われている。
また、IFT、コイルが戦後のスター製品に交換されている。
(所蔵No.11493)
高周波2段受信機
ナショナル 国民6号型 5球受信機 松下無線(株) 1940年頃
TUBES: 58 58 57 2A5 80 (3WC5 58 3ZDH3A 2A5 80), 6.5" Electro-dynamic
Speaker, BC:550-1500kc
ナショナルの高二受信機の代表的なモデル。ダイヤルには台湾や満州など外地のコールサインも表示されている。
本機は、ナショナルの小型ラジオ用IFTを用いてスーパーに改造されている。改造に使われた真空管は2.5Vの改造用真空管である。スピーカは本来松下製のはずだが、無名メーカの製品に交換されている。出力管と整流管は失われている。元々5球受信機だったため、本来の真空管を生かして周波数変換と検波の2本を交換するだけで簡単にスーパーに改造することができた。このくらいのセットであれば感度、分離とも民放ができても実用になったはずだが、元のコイルが使えなくなるような故障が起きて改造されたものかもしれない。
(所蔵No.11961)
ビクター R-103型 5球受信機 日本ビクター蓄音機(株) 1938年 100.00円(1938.10.1改正)
TUBES: 58-58-57-2A5-80, 6.5" Electro-dynamic (Victor)
ビクターの高二受信機。非常に深いシャーシはビクターラジオの特徴である。このため整備性は悪い。まだ米国RCA Victor の資本が入っていた時代の製品なので、ダイヤルにはRCAとビクターのマーク、「日本ビクター」の文字が並んでいる。シャーシの構造や部品にはライセンスを結んでいたアメリカの影響が見られ、品質は非常に高い。
本機は前面パネルのツキ板にはがれが見られる。また、裏蓋が失われている。
(所蔵No.11421)
ビクター 5R-20型 タイムスイッチ付5球受信機 日本ビクター蓄音機(株) 1938年
TUBES: 58-58-57-2A5-80,
高二5球受信機に、東京電気製タイムスイッチを組み込んだもの。任意のピンを引き出すことで指定した時刻から一定時間ONすることができた。飾り棚を備えた時計塔型のユニークなキャビネットで、ラジオ部が左側にあるデザインも特異なものだが、シャーシは同社の平均的なものと共通である。高周波2段5球式で、自社製フィールド型ダイナミックを駆動する。タイムスイッチを備えたセットには、この他にデザインが異なる5R-22型があった。
本機は、戦後、市販のコイルを組み込み、トランスを交換して6.3Vのスーパー(6WC5-6D6-6ZDH3A-42-80K)に改造されている。
ツマミはオリジナルではない。
(所蔵No.11704)
コロムビア CR-100型 5球受信機 (株)日本蓄音機商会 1940年頃
コロムビアの大型受信機。58-58-57-2A5-80 の平均的な構成で自社製8インチフィールド型ダイナミックを駆動する。シャーシはビクターのOEMである。音質改善のためNFBがかけられている。銘板が紙製になるなど、資材不足からの簡素化がはじまっている。
(所蔵No.11169)
コロムビア CR-102型 5球受信機 (株)日本蓄音機商会 1941年
コロムビアの大型受信機。58-58-57-2A5-80 の平均的な構成で自社製フィールド型ダイナミック(Model 107)を駆動する。シャーシはビクターのOEMである。音質改善のためNFBがかけられている。敵性語排除の動きからか、銘板の表記が日本語に改められている。
(所蔵No.11342)
ビクター 5R-15型 5球受信機 日本ビクター蓄音機(株) 1940年 125.00円
ビクターの高二受信機。58-24B-24B-2A5-80 の5球で6.5インチの自社製フィールド型ダイナミックを駆動する。非常に深いシャーシはビクターラジオの特徴である。このため整備性は悪い。戦時下の国策に沿ったものか、簡素なデザインとなっているが、品質は良い。ビクター製品の中では比較的普及品といえる。翌年には旧式の24Bを廃した5R-25型にモデルチェンジされた。
本機は、スイッチのシャフトが破損して失われている。また、中央の球に付けられているシールドキャップはオリジナルではない。
(所蔵No.112727)
精華ラヂオ高周波二段式 八欧無線電機製作所/興亜無線電機製作所 1942年頃
パネル正面のロゴ(左)、興亜無線の名前になっているシャーシの銘板(中)、八欧無線の名前になっているキャビの試験証(右)
八欧無線電機製作所は1938年10月に興亜電機製作所として創業し、1941年6月に社名変更した。戦後はゼネラルブランドで有名になるが、戦前は「精華(Seikwa)」ブランドでラジオを発売していた。同社が本格的にラジオ生産の乗り出したときには太平洋戦争が始まっていた。このため精華受信機の生産台数は少ない。このセットはシャーシの銘板が旧社名、ダイヤルの表記と試験証は新社名となっており、社名変更間もない頃の製品と思われる。58-58-57-2A5-80 の平均的な構成でフィールド型ダイナミックを駆動する。
(所蔵No.11495)
ビクター 5R-25型 5球受信機 日本ビクター蓄音機(株) 1941-43年 112.43('42.8の公定価格)
ビクターの戦時中の高二受信機。58-58-57-2A5-80 の5球で6.5インチの自社製フィールド型ダイナミックを駆動する。5R-15型の真空管を新型に変更してモデルチェンジしたもの。非常に深いシャーシはビクターラジオの特徴である。このため整備性は悪い。戦時下にあっても、それほど品質は低下していないが、キャビネットのデザインは時節柄かシンプルなものになっている。
(所蔵No.11221)
ビクター5A-10型 オートトランス式5球受信機 (1941-42年、日本ビクター蓄音機) 90.60(公定価格)
放送局型123号に使われたトランスレス用真空管を使うダイナミックセットである。フィラメントは直列に接続され、Bは小型のオートトランスによって昇圧されるセミトランスレスである。局型123号では倍電圧整流として使う24Z-K2は、片方を半波整流に、片方をスピーカーのフィールドエキサイタとして使用する。配列は12YV1-12YV1-12YR1-12ZP1-24ZK2で、真空管が5本あることから局型のようなバラストランプは不要である。トランスレス受信機と同じようにヒューズが両極に2本入れられ、裏蓋はねじ止めである。キャビネットはデザイン、材料とも簡素で、戦時耐乏型の高級受信機といえる。このデザインは、戦後1950年に5球スーパー、5RS-4型で復活する。
本機の中央のツマミはオリジナルではない。
掲載誌:ラジオの日本1940年5月号、11月号
(所蔵No.11571)
電池式受信機
ビクター 6D-60型 電池式6球スーパー 日本ビクター蓄音機(株) 1937-40年
TUBES: UX-134 UZ-135 UX-134 UX-109 UX-109(109A) UY-133, Paper Framed Magnetic
Speaker,
A: DC1.5V 0.52A (平角2号を2個並列), B: DC90V 15mA (岡田No. B-29相当品45V, 2個直列)
国産オリジナルの電池用真空管を使った異色のスーパー受信機。高周波1段、中間周波1段の普通のスーパーだが、適当な複合管がなかったため、三極管109を二極管接続とし検波している。スーパー受信機だが、消費電力の関係でマグネチックスピーカを採用している。乾電池はセットの外に置くようになっている。別売品としてラジオの台となるバッテリーケースが用意されていた。リード線には中継用のコンセントが設けられ、接続を容易にしている。
シャーシや基本的な部品は交流式と共通である。少量生産を前提としているということだろう。背面の端子盤は、交流のモデルではアンテナ端子とピックアップ端子を備えるが、このモデルではアンテナとアース端子のみが備わる。ダイヤルも交流式セットと共通だが、パイロットランプは備えられていない。ちょうどアメリカ資本が切れる直前に発売された製品のために、ダイヤルにはRCAのマークも表示されている。後期型では"Victor"の文字のみが表示される。
掲載誌無線と実験1940年3月号
(所蔵No.11966)
外国製受信機
Ecko Model A.D.75. 4球スーパー E.K.Cole Ltd., (U.K.) 1940年
TUBES: CCH35 EF39 CBL31 CY31(最初期型:ECH3 EF9 CBL1 CY1)
AC/DC 200-250V, Permanent Dynamic Speaker,
BC:250-500m, LW: 900-2000m, I.F.: 480kHz
英国E.K.Cole社は、1935年からユニークなデザインのベークライトキャビネットのラジオを発売してきた。この円形のデザインはその代表的なもので、1935年のA.D.65.型から始まった。このA.D.75.型は、戦時下にあって資材節約のためにキャビネットを従来機より小型化したモデルである(2)。日本では戦時中に多くの代用品が木材で作られたが、欧州では木材が不足したため、木材の代用品としてベークライトが用いられた。回路は複合管を使ったスーパーで、直流送電地域に対応するため、トランスレスとなっている。英国でも戦時下の民生用ラジオの生産は資材不足から激減するが、この機種は戦後、1946年に生産を再開している。
本機のシャーシは、再塗装されている。また、キャビネットは経年変化でツヤが失われている。
(所蔵No.11982)
RCA Victor Q-33型 8球5バンドオールウェーブスーパー RCA Manufacturing Co.(U.S.A.) 1940年
シャーシ裏、改造のためUZ-85を押し込んでいる
シャーシ後ろ側の封印の痕跡、"TED"および「保」の文字が見られる
TUBES: 6SK7-6SA7-6SK7-6SQ7-6AD7G-6F6G-5Y3G-6U5/6G5, 8" Electro-dynamic
Speaker
太平洋戦争開戦直前のRCA製高級全波受信機。メタル管とG管で統一された高一付5バンドである。この機種は輸出用を考慮され、トランスのタップにより100-130,140-160,200-250Vを切り替えることができる(アメリカ国内用もあった)。真空管はマジックアイを含む8球である。3極5極管6AD7の3極部を位相反転に使い、5極部と6F6でプッシュプルとして自社製8インチフィールド型ダイナミックを駆動する。
高周波部は、中波のほかに3-22.5Mcの短波帯を4つに細かく分け、生産性を向上させると共に放送が多い部分を拡大することで操作性の改善を目的とした「バンド・スプレッド方式」を採用している。バンドスイッチツマミは中央にあるが、ロータリースイッチはバリコンの下に配置されている。このため、ツマミが付いているシャフトからリンクを介してスイッチを動かしている。キャビネットは幅54.5cm、高さ34.5cmの大きなもので、頑丈に作られている。あらゆる面で当時の国産品よりはるかに高い技術レベルと高品質を実現している。
本機は戦前に日本に入ったものらしく、シャーシに封印した形跡が見られるが、短波の回路を改造した形跡は見られない。ツマミを外すか封印する程度の処置が行われていたものと思われる。本機は、「ラヂオの日本」誌1943年1月号に、電気通信協会の委嘱により技研の技師による解説記事が掲載されている。南方向け輸出のための参考ということだが、6頁にわたる詳細な記事である。
この機種のバンドスプレッド方式や、シャーシ構造、回路構成などは、ビクターが戦後すぐに発表した5AW1型「黎明」受信機に大きな影響を与えている。
本機は、戦後も修理を繰り返されながら長く使われたようである。3極5極管6AD7は入手が困難だったらしく、6F6に改造し、位相反転部は、3極部の相当管UZ-85(マツダ製放出品)をシャーシ下に押し込んでいる。
本機は、キャビネットの保存状態が悪く、ダイヤルガラスが破損している。
(所蔵No.11651)
Motorola Model 52T1 プッシュボタン式2バンド5球スーパー Galvin Mfg. Co. ; Chicago, U.S.A. 1940年
TUBES: 6A8GT 6SK7GT 6SQ7GT 41 80, Electro-dynamic Speaker, BC:540-1720
kc; Short Wave 6-18 Mc
モトローラは、早くからプッシュボタン選局に取り組んだメーカである。この機種はST/GT混合の5球スーパーで、6-18Mcの短波帯を備える。中波用に、裏蓋に"Aero-Vane"と称するループアンテナを備えている。
(所蔵No.11901)
Motorola Model 61T22 プッシュボタン式2バンド5球スーパー Galvin Mfg. Co. ; Chicago, U.S.A. 1942年
TUBES: 6SD7GT 6J5GT 6SK7GT 6SQ7GT 6K6GT 5Y3G, Electro-dynamic Speaker,
BC:540-1720 kc; Short Wave 5.6-12.2 Mc
1943年以降、戦争のためアメリカでは家庭用ラジオの生産がストップした。この機種は、ラジオの生産が続けられた最後の年の製品である。G/GT管を使用したプッシュボタン選局、ループアンテナを採用した2バンド5球スーパーである。ダイヤルの局名表記に、ロンドンやジュネーブと並んで、ベルリン、ローマ、東京の位置が示されているのが興味深い。戦前の6T型には、これらの局の表記はない。デザインもシンプルになり、一種の戦時対応ではないかと思われる。
(所蔵No.11900)
1) 『無線と実験』 昭和12年11月号 (誠文堂新光社 1937年)
2) Jonathan Hill "RADIO! RADIO!" (Sunrise Press, U.K. 1986年)
3) 橋本健午 「恤兵(金)および献金・献納について」 『「戦線文庫」研究』 2006.1.4
4)『 ナショナル経営資料』 昭和15年2月号 (松下無線(株) 1940年)